目の認識、機械の認識

 今日(5月6日付)の日経産業新聞の一面記事は「重ねたICタグ 1秒で30枚認識(日本信号が新システム)」であった*1.重ねて認識するICタグと言うだけであれば、確か図書館の貸し出しをICタグで認識するものとかも、複数の本を一括で認識してたはずだし・・・と思いきや、この日本信号の新しさは「タグ同士の間隔が1mmでいい」というところらしい.そのため、契約書などの薄い書類でもその保存・持ち出し記録を自動的に出来るようになる、と.

 とまぁそんなことはどうでもいいんだが、この記事を見て私が感じたのは、
「目の認識としての紙表面の記述」

「機械の認識としてのチップに書き込まれた記述」
の2種類の記述をしなくてはいけないというパラドックスだ.


 きっと今後もこうやって、「管理のための機械認識」と「理解のための目視認識」の両方が非効率的に記述されていくのだろうと思われる.ここでの非効率的という意味は、記述・記録としてメディアを別に二重記録されているという単純な意味で使っている.後述するが、技術の進歩と人間の思考限界が邪魔する現段階では 必ずしも非効率とは言えないことは理解している.ただしそれは「現状の機械にとって効率的」なだけだ.技術は進化する.
 単純に考えれば 同じことを違う言語で書き直したり、同じメディアで認識できないのは非効率なわけだ.本来なら一記述で、機械にも人間にも理解できるものを作るほうが効率的であるし、ある意味 あとから出てきた新規格に対応する時も楽になる可能性が高い.なんせ人間のために使う機械であり、管理なのだから、そりゃ人間の認識方法に則したものに歩み寄っていく進化を辿るはずだから.


 このICタグ付き契約書の例で言えば、契約書の内容は人間は「紙に書かれている」ことで認識するが、チップから読み取っているわけではない.本当はチップの内容も、何らかの機械を通せば 人間も「何の契約書なのか」チップに書かれた情報を読み取れるはずである.そう考えるとなんだ、そもそもチップの中に契約書原文も入れておいて、基本的にディスプレーを通して 管理・閲覧すれば一括じゃないか、という発想に陥ってしまう.
(が、ここは先ほどの技術が進歩していないお陰で、きっとディスプレーで読むよりも紙で読むほうが読みやすい だとか、全部ソフト上で同じテキストになって羅列されるよりも紙束単位でモジュール化されているほうが理解しやすい だとか言う人間が出てくるので、そう簡単にいかない.
 だが、機械や技術は人間のために日々進化・改善されていくものだ.紙よりも読みやすい方法が技術によって成されるかもしれないし、紙束のようなモジュール化がソフト上で再現できるはずなのだ.そこら辺の進化(真価も)を追い詰める前に、思考限界を作ってしまう人が多すぎる.という最近の愚痴)
 ま、そのころには 契約書は紙管理しないようにしよう という動きが出てきても不思議じゃないけどね.


 ということで私が言いたかったのは、紙を代替するだけの最良媒体が出てこない限り、なかなか紙は無くならないわけで、そのための作業の効率化を改善する動きが続くとすれば、余計なチップを付属するとかの動きはとても一過性のものであるとしても、機械認識と人間認識の差を埋めていくことに意義はあるよねってことです.


 あれあれ、ちょっと誤解を呼びそうなので補足しておくが、「余計なチップを付属することが一過性なのか」という話については、RFIDの勉強をしていた時に、結局タグが付いて人間は何をしたいと思っているのかというと その付いたもの自体の「トラッキング」「トレーシング」なわけだと言うところに行きついた.つまり、今はどこかにそれを書き込まなければ記録できないから、ICタグをつけて行きましょう、と.
 しかしだ、ここで面白かったのは タグが付く前は捕捉不可能である ということだ.これはある意味 下手な家計簿と同じで、毎日着々と家計簿を付ける人の家計簿は意味があるが、いい加減に途中でつけるのをやめてしまった人や間が抜けている人はその限りでしか情報が得られないわけだ.
 結局のところモノが分子・原子レベルで簡単に組成を見られるようになったりした時は、もしかすると現代のDNA鑑定のようなに そのモノがいつ出来たもので、どこを通って、どういう条件に晒されていたかが タグなしで認識できる可能性は有るだろう.(いつになるかはわからんけど) それが実現するまでは、ICチップ記録は必要だろうからそれは一過性 と言ってしまった.
 いや、もうちょっと代替する違う方法も出てきそうなものだけど.方法があるとすれば、「他のものに記録し続ける(これが今のRFIDの状況)」、「そのもの自体を調べる(これが先ほど上げたDNA鑑定みたいなもの)」、あとは「外から監視続ける」くらいだろうか.


 なんだか話題が支離滅裂だが、良しとして.

*1:相変わらすどんな大事件があっても1面記事が全く大衆時事的ではないところが日経産業新聞に愛着がわくところですね