ネット共産主義のポジティブイメージ

#とっても久しぶりのエントリーになります.2ヶ月も死んでました、甦りました.近頃どんどん、コテコテのメーカー人になってます.素材大好き(違


 最近、仕事をしていて「ネット共産主義」について議論する機会があった.(どんな議論でどんな問題提起かは、書きません.想像してください.)さすがに私自身が大学時代 それ系マンセーな人の多いゼミに居たのですぐに判断することが出来ず、回答を保留にしている.

 いや、結論としては決まっているのだ.



 完全なる市場主義もありえないし、完全なる共産主義もありえない中で、創発やら共創やらシェアやらオープンやらといった思想が Technology面でかなりのコストを低く実践できたことを恩恵としても、それを実行する人が居るということはやはり人間の根源欲求なんだろう.ただし問題は、それによって歪みを与えないアーキテクチャで、社会構成できるか、だろうと思う.
 正直なところ、数年前(10年位前?)には、社内でも盛んに ネットサービス!ネットサービス!と動いたわりに、(たぶんセンスが無いだけだと思うが)利益の源泉が見つからず、ポシャって、周りから否定されて、みんなトラウマ・・・みたいな状況があったらしいのだが、良くも悪くも「web2.0」のお陰で、業界や歴史を知らない人間までも 知ったかぶった挙句、過去の失敗を忘れたかのように、ネット以外の部分(多くはハード的な業種)についても、オープンマンセー・台湾EMSマンセー的な思考に洗脳されている気がする.
 確かに何も抱えるものの無い人間の思考からすると、そういうのにマンセーでもおかしくないし、実際私もそういう文献を大学で読み漁りながら それにユートピア感を感じなかったと言ったら嘘になる.新しい可能性を感じていたのは事実.しかし、自分で法人を抱え、人を抱え、それをやめて、大きな雇用と大きな設備と大きな使命を抱えた組織に飛び込んで思うのは やはり「それでは軽すぎる」という感想.
 目の前だけで見てしまうと、みんなで作ろう!みんなで使おう!は とても理想的なのだ.しかしその軽さがどうもしっくりこない.ハードな面にもそれがまかり通っている最近の人々が、怖い.


 近頃「表面的なものに扇動される」という状況が多すぎるのではないか?
 マスコミもそうだろうが、人々の思考自体にも問題があるんだろう.


 私は中学から大学時代にかけて、知恵・知識を持った分野の人たちが、それが金にならない、金にならないと言っている「貧しい」産業に立ち会っていた.金にならないはずのないノウハウと、今後ニーズの深まるはずの ヘルスフィットネス系の知識だったはずなのに、うまくいっていなかった.いろいろと仕組みを作ることに挑戦しだしてから、「お金が取れる階層」と「お金が取れない階層」に分けてみると それまで「タダでもやる」と言っていた人たちの意識が変わり、ほとんどの人が「お金が取れない階層」には登録しなくなった.
 結局、社会環境的アーキテクチャがどうあるかによって、人々のモチベーションなんてものは変わってしまうのだ.
 これも「扇動」でしかないかもしれないが、「扇動」ではなく「先導」するのは「経営」であり「ビジネス」だと思う.


#えー.毎度のことですが、家で一人晩酌というおっさん的崩壊生活送ってますので、多少の酔いの為 考察が浅くてすみません.