労働搾取のこれから

ザ・コーポレーションを鑑賞.浅く広く仕上がっているので、少し物足りないが(ただ原作も売れ、映画にもなったくらいなので、展開のしかたもユニークでなかなか上出来です)、その中で取り上げられていた労働搾取について考えてみたい.

私は1年ほど前に、会社の研修で 工場の作業員を1ヶ月ほどやっていた.その時に思ったのは、「このような労働形態はそのうちなくなっていくだろう.いや、無くならせなければ世界をリードする企業には成れないのだろう.」と言うことだった.*1

日本でも江戸時代に「丁稚奉公」が10歳前後から存在していたように、過去は普通に子供も労働力であったことを社会が認めていた.農作業でいえば、普通に老いも若きも家族総出で働いていたものだろう.
池田氏が指摘しているように、

子供を特別な保護すべき存在とするようになったのは「ブルジョア社会」になってからであり、歴史的には(途上国では今でも)子供は労働力である。
公教育は子供を保護するためではなく、工場の規律に合わせて労働者を規格化するためにつくられたものだ。

と書いてしまうとあまりにストレートすぎるので、「産業革命によって工場労働の形式が出来上がり、そこで求められる規律・規則・スキルが その場で身につけるだけでは足りず、事前の教育(身体の成長含む)によってなされるようになった≒教育されなければ労働力として成立し難くなる、だからこそ成長途上の子供はまず教育を受けられるようにすべき」と言い換えてみよう.*2

「来るべき労働のために必要な知力・体力を身につけるための保護期間」として「児童労働」を問題視しているのだと考えれば、現状の問題だけでなく これからの労働環境についても考えなくてはなるまい.


産業の進化によって 求められる労働力の条件の適切な範囲が変化していることは、想像に難く無い.体力勝負で鉱山を掘っていた時代には、他に代わりが無いのだからひたすらに堀り続けられる体力を持つことが全てだ.その意味では、「若いほど元気がある」のが一つの最適労働力条件として、若者が登用されていただろう.だがしかし、機械が出来ることで大きな力は機械が代用し、機械を扱える人間・機械のミスを修正できる人間・機械ができない細かい作業ができる人間が労働力として必要になるわけだ.
そして、先進国の多くは、ホワイトカラーとして仕事をしている.ナレッジワーカーであり、デスクワーカーであり、体力の必要なものを機械が取って代わっただけでなく、単純作業は「機械によって自動化」される時代だ.そのような時代だからこそ、途上国の工場での児童労働が問題に成るのだろう.
しかし、もう次の時代は始まっている.
ダニエル・ピンク(2005)『ハイ・コンセプト』で、

左脳的な、現代のナレッジワークと呼ばれるそのほとんどを中国やインドに外注することが可能であり、将来的に新しいテクノロジーが代わりを担ってしまうだろう。

と、指摘されているように、もはや体力的な限界だけでなく、ルールに従った左脳的な作業であればテクノロジーが代替してしまうことは可能となってきているのだ.実際、キヤノンは多くの国内の工場で自動化ラインを拡大しようとしているし、そのためのロボット技術に興味を持っていると言う.
こうなると、単純作業すら「労働搾取だ」と言われる時代も来るのではないだろうか.

ダニエル・ピンクは、右脳的な仕事こそ これからの時代の労働であると説いている.

豊かな時代は、合理的・論理的・そして機能的な必要に訴えるだけでは利益は上がらない。

労働の核が「発想」であることは、ここ数年の「モノの価格下落」によって証明されつつあるだろう.コモディティ化したモノの多くが、その機能と質でしか価格差が出なくなってきている.しかしその一方、炭釜の炊飯器などはその「発想」で高価格でも売れている.単純な正常進化は、飛びぬけて大きな価値を見出せなくなってしまった.ひいては単純労働の価値は以前より下がっていると考えた方がいいだろう.搾取されている と言うよりも、池田氏の用いたマルクスの話のように「その時必要な労働力の規格外」だから、低賃金しか得られないと捉えてはどうだろうか?

さて、これは海外発展途上国の工場だけの問題では無いことは、皆さんお気付きの通りかと思う.日本にも未だに多くの単純労働工場は存在する.そして、それがフリーターの一時的な職場であったりすることも多い(実際私の研修先でも何人も居た).
しかし海外の工場と違って、さすがに日本の工場労働は賃金が高い.もちろん、一般の正社員と比べると低いが.ただ、ここも皆さんお気付きのように、それを支えていけるほどの「付加価値を産む出す労働」で無い限り、工場がそれを支えられなくなる時も遠くは無いだろう.

物理的にも高いお金を払えない労働になってしまう今後、それでも低賃金で単純労働をさせてしまうのは、一部ではしょうがないと割り切ることになるだろうが、企業の社会的責任の面を見ても それが「正しい労働環境ではない」と言われてしまう時代が来るのではないだろうか.*3


仕事は変化している、それとともに必要な能力・条件も変化してきている.それに対応した職環境を作り出していける企業は、これからも強いのだろう.

*1:ちなみに私は単純労働2日目で飽きてしまい、この時間に何か生み出すことはできないだろうか、と1ヶ月間様々な実験(?)に取り組んだ.「メモを持ち込んで、手では作業をしながらアイデアを書き出してみる」とか「学術論文や本を持ち込んで、手では作業をしながら読んでみる」とか.実際、後者は不具合が出ることも無く出来てしまっていたものだが・・・.

*2:ある意味、発展途上国で今でも子供が労働力であるのは、『The Corporation』の中で指摘されているように、細かい作業のできる小さな指が必要とされているだけでなく、知識を身につけたところで よりStepUpした仕事が存在しないからだろう.子供の間に教育されなくても、体力をそれほどつけなくても、彼らが大人に成った時にそれほど代わりの無い生活が待っているのだろう.たくさんのNGOはそれではいけないと、識字学級を用意しているはずではあるが.100ドルPCで、知識がもたらす 職のStepUpがもたらされる未来を期待したい.

*3:私自身、工場での単純労働だけではなく 次の波に飲まれるであろう「ナレッジワーク」の単純労働も体験している.これは研修という生ぬるい保護範囲で無いので、実験をする余裕すらなく、波に押しつぶされているのだが、単純作業をしていると何も発想できなくなってくる自分が解かる.正直こんな仕事をし始めて1ヶ月なのだが、普段の思考能力を取り戻すことは帰宅時間内(帰宅している時間自体が5-6時間だが)には無理で、週末でもやっと日曜の夜になって思考回路が戻ったくらいだ.単純労働は成長を止める.