あいまいなものを論理的に扱う

私の寝室には、800冊くらいは本があると思う。

心に残る本が何冊かある。
人に薦めて貸して、何冊も戻ってきていない。
そんな何冊かは、必ず何回か同じ本を買い足している。
(知識を流動させつつ、著者にそれを還元できるのだから、
 良い方法だと思っているけれど、
 気が向いたら返してね〜♪)


今日は、そのうちの一冊である
「勝つための意思決定」を数年ぶりに読んでみた。
タイトルだけ見ると普通だけど、これ、中身まるまる
アメリカ海軍大学の教科書を主とした、軍事モノ。
多少、ビジネス向けにデフォルメされているんだけど、
考え方のフレームワークとして、
「あいまいなもの」に対するものを中心としているところが実践的。


制約の分類の仕方や、指令の中に含まれるべき情報の種類など、
今回も、いくつかTake-awayのある本ではあったのだけど、
「方策案は大雑把に」「判断基準に少項目は作らないこと」
は、確認しやすい項目。


数年前に読んだ時は、
もっと違う領域を参考にしたいと感じていたように思うけれど、
良き本は、その都度、その時の課題を浮き彫りにしてくれて、
そしてその良き相談相手(壁打ち状態だけど)となってくれるものだと思う。

無理が普通の世界の中で

うちはこれまで、パートタイムの女性がほぼ100%の状態で会社をやっている。
繁忙期、みんなで集まる日、どうしても大事な締切・・・。
そういう時に限って、お子さんが病気をしたり、学校のイベントがあったり、
必ず予定通り成立しないことが起こる。


スケジュール上、今日・この時間は働いているはずの予定になっているはずだけど
仕事の反応がないこともある。
もちろん時々本当に「バックレ」ている人もいるが、
殆どの人は悪気がなくそうなっていたりする。



正直困る。
あああ、結局自分でやらなきゃいけない、
もう間に合わないかもしれない、
いつ返事が来るかわからない。



世で言う「ワーク・ライフ・バランス」という人たちは、
これでビジネスが成立するほど
余裕を持った人員配置をしているのだろうか。
多くの会社は、余剰人員を抱えるほどの余裕はなかろう。

うちが出てきていない、ただそれだけかもしれないが、
無理のできる男性が重宝される意味もよく分かる。
そして無理をできる自分が普通にもなっている。



ホントはイレギュラーな状態が発生しても
無理のない状況を作ることが正しいのだろう。
でも、やっぱり誰かがカバーすることになるわけで。
イレギュラーをレギュラーにするって本当に大変だ。
どうすりゃいいんだ?

未知への抗い

科学発展に対する恐怖の多くは、わからないことに対するもの。何が“わからないのか”を問い詰めるとすれば、「自らが知らないうちに勝手に決められてしまう」ことへの恐怖とも言える。
技術がいかに進化しても、その進化前の状態にあった恐怖心と基本的には変わらない恐怖心が存在しているはずであり、過去の課題を探ることでそれは明確になる。


人は何に恐怖しているのか?


現代で反論の起こる多くの事象について、人々が脅威を感じるのいつ、なぜか?
アンコントローラブルであることが露呈された時のようだ。
技術の進化として、人が倫理的に恐れていることとは、なんらかの解を勝手に決められることによって発生するものであるか、途中で止めることができずアンコントローラブルな状態になることに対して生じる。どちらにしても、選択のない・立ち戻ることのできない状態に恐怖している。


今多くの側面で、人間を追い越す何らかの技術に対する脅威が騒がしいが、人間も進化しているという側面には注目できているのだろうか?
人間の進化は、処理スピードだけで構成されていない。

行動の観察と改善

7ヶ月ぶりの書き込みだけど、以下3つについて。

1)無意識に同じパターンを繰り返す
2)他人に対して嫌なことは、自分の弱い部分
3)変えなければいけないこと

無意識に同じパターンを繰り返す

歳を取れば取るほど、何に対峙しても同じようなパターンで、判断したり対応したりしやすくなるものだと思う。
楽しいこと、しんどいこと、無意識のままだと大体同じような処理ばかり。私だけじゃなくても、誰もがそんな感じだな、と思うことがある。

同じことを繰り返すと、そこで出る結果は、当然 自然な状態で出る結果と同じ確率でしか生じなくて、つまり、うまく行ったり行かなかったりする。だから、いい意味で自分のパターンの反省に繋がらない。環境要因での改善のほうが目立つものだから。

同じパターンを使うことは、判断の速さや確度にも繋がり、悪いことだけではないが、「変化」が前提のこの世の中で、やっぱり良くはないんだろう、と思う。
うまく行った時も、行かなかった時も、自分の判断・行動で「同じこと」が何なのか。

他人に対して嫌なことは、自分の弱い部分

上記と似たような話だけれど、自然に自分の中で「これは許せない」と評価してしまう事象は、全く自分と別次元にある話も無いこともないが、実は自分の「弱み」の部分であることが多いように思う。自分も、他人も。
あーあ、次の自分の課題はこれか、と思い知らされる。

変えなければいけないこと

上、書いてる間に、何書くつもりだったか忘れたわ。
_(┐「ε:)_ズコー



ーーーーー
7ヶ月ぶりの更新。
自分の髪は1年3ヶ月ぶりの更新だったから、それよりましか。
「貧すれば鈍する」を文字通り体験した1年半くらいだった。
余裕を持とう&残った仕事を仕上げよう。

目の前のヤマを越えている間に、深遠さが失われることにも気付かない

本当は、本当に毎日更新したいと思ってるんですが、なぜか出来ないんです.
いろいろ突発事項が発生するからなだけだと思っていましたが、
単に私自身がアホになってるのも影響していると気づいたので、今日はそれも含めたエントリーで.


このエントリーは
1)本屋が機能してない
2)仕事し始めて13〜18年くらいの仕事盛り(の男性)が陥る状況
という2本立ての話です.

本屋が機能してない

久々に、「本屋に行く」という目的のために、本屋に行ったんですよ.いやたまに待ち合わせの時間まで時間があるからって本屋を覗くことはあるんですけど、後半に書く理由で「やべえ、これは本屋で本を調達しなければ」という危機感に駆られたために行ってきたんです.
都内の駅ビルに入っている、比較的広いフロアを持つ某U隣堂に行ったんですけどね.いや、この広さなら大丈夫だろうという確信と、確か棚があったよなという記憶で.


まず、「哲学」の棚に向かいますよ.
無い!
棚自体が無いがな.うそやん.とりあえず、「科学哲学」でお茶を濁すために、「科学」の棚へ.一列もないのかあ・・・.
しょうがない、「経済」の棚に行くか.
無い!
無いがな、なんか経営・自己啓発と一緒になっとるがな.っていうか、自己啓発なんで3列もあんねん.
あれ?ラインナップが、雑誌とか報道番組の見出しみたいな、ちょっと流行なネタばっかり.
国際情勢系の列なんて見ちゃいられないわけです.
と思ってみていると、世界史の列の端っこに、少しだけ哲学スペースが.
それも、ほとんどが「宗教」とか「メンタルコントロール」の境目ですよ.



なんですかね、これ?
トレンドの本だけ並ぶのが書店になったんですね.レンタルDVD店と同じようなものか.
じっくり吟味する本こそ、書店での出会いが云々と信じてきましたが、
そんなものとは出会えない空間になってしまったようでした.
そうですね、普段の私の行動のように「隙間時間」に気になったものを
「流れ」で買っちゃうことを促す空間にしかなってませんでした.


もはやAmazonのカテゴリから、「出版年月が新しい順番」で見るほうが
よほどいい本と出会えそうです.
しかしこう、需要側がなっているとすれば、
しばらくすると日本語訳される本も、そういう薄っぺらい
「その時」に生きる本だらけになるんだろうと思うと憂鬱である.

仕事し始めて13〜18年くらいの仕事盛り(の男性)が陥る状況

で、話を「やべえ、これは本屋で本を調達しなければ」となった理由に戻したいわけですが、
その前に、10年くらい前からよく私が目の当たりにしていた現象について.


社会人として仕事に取り組んで、10年では届かないが、
13〜15年から数年の間って、
特に男性サラリーマンは「活躍」が始まる時期であり、
仕事が難しくなる頃なんですよね.
(正直、長く働いている女性のサンプル数が少なくて、女性の例はわかりません、という前提)


私は、若いころ個性的なポジションで過ごせていたお陰で、
そのくらいに差し掛かる男性がたくさんいる場に呼んでもらうことが多く、
この前後に置かれる男性の「会話内容」の変化にツッコミを入れたことが幾度となくありました.



簡単に言うと、
活躍し、能力が有るのだろうなと思える男性ほど、
この時期を境にして
「喋ってる内容がしょーもなくなる」
のでした.


なんていうか、いつも同じこと(同じ領域・同じ課題)しか喋らなくなる.
だいたい優秀な人間はそもそも、いい分野に位置付いて仕事をしていることが多いので、
その分野では確かにホットな話題だし、
むしろその分野がホットである場合が多いために、
周りからはチヤホヤされ続けているのだろうと思うのですが、


よくよく中身だけを判断すると、
「あれ、その話、半年・一年前も同じ事言ってたよな」って思うわけです.


まあでも、ちゃんと活躍し続ける人は、そのあとまた同じくらいの時間をかけて、
幅広い話題に対して意見を持ち、深さのある人間に戻っていることが多いので、
きっとどこかで軌道修正が起こっているんだろうなと思っていました.



・・・・・・・・・で、気付きました.



やばいよ私、だいたい最近同じことばかり考えているし、
人としゃべる時も、自分が今課題にしていること以外に興味が持てないし、
他の情報はすべて0・1の情報の塊が通り過ぎていくかのごとく通過させているし、
むしろ自分の目の前の課題片付けるためのことを何よりも優先しているし、
自分の中でそれが全てになっている!


アホになっとる、あかんわこれ.(文頭に戻る)

オープンな目先の非効率、クローズドな信頼感とスピード感

オーブンオープンな目先の非効率、クローズドな信頼感とスピード感、です.焼いてないです...

ホントは毎日更新したいんですよ?でもなぜかほんとに、書いてられないくらい一日中追われてる日が続くんですよね・・・.ホントは今日中にやっておきたいことがまだ1つ残っているんだけど、鎮痛剤飲んでも頭痛は治まらないし、なんかキャパを超えてる気がするんですわ.


てことで、ちょこっと読んでからずっと考えてみたかったこの話から.

喫煙室の横にガム部屋を作って、良かった点と悪かった点
http://anond.hatelabo.jp/20150822024159

これは既存の既得権益?に対する、すごい対抗策だと思うわけですよ.もっと長期的な効果がどうであったか続編を読みたい.
ただその一方、本人が書いているように
「密室で決まることは減らしたい」
については助長してるわけで.
というか、この結果は結局人間って、密室で決めるほうが効率よく決まってるってことを証明しているようなもんなんですよね.


ただ、この会社に地方や海外支社があった場合はどうするのか?
支社は支社で、密室を作って決めればいいのか?それでも本社が勝手に決めたと文句が出るよね.


目の前の効率だけ見つめてると、間違いなくスケールアップしたレベルでは齟齬が生まれるものだと思う.
そして、途中でルールを変えるのは そこにすでにいる人達の既得権益が生まれてしまうことで、難しくなるものだと思う.


私は極端に判断しているので、スケールアップしたときに齟齬を生むような内容は、最初からルールとして入れずに、ない状態でもっと改善できないのかと問うタイプ.
ただしこれは、理解できない人・素早く結果を出したい人にとってはフラストレーションしか産まなくなり、とてつもなくめんどくさいことが起こる.

めんどくせー.

価値の生まれる瞬間、金の払われる瞬間

相変わらず、メディア業界は10年くらい同じ悩みを抱えて右往左往しているんじゃないだろうか.

2011年の高裁判決でグーグルが敗訴。判決を受けて、グーグルは当該新聞社の記事を、検索表示から除外した。
ところが、これによって新聞社サイトのトラフィックが急落。あわてた新聞社側は、結局、グーグルと和解し、検索表示は復活した。
同様のどたばたはドイツでもあった。
ドイツの新聞社グループが昨年6月、グーグルに対し、グーグルニュースの広告収入の11%を記事使用料として支払うよう提訴。
ところが10月に入って、グーグルが当該新聞社グループの記事のスニペットを検索表示から削除。

?グーグル税?はメディアにどれだけのダメージを与えたか

あたしは、コンテンツアグリゲーションと コンテンツの価値は別だと思っていて、アグリゲーションはある意味「選択のセンス」と「送料」分の価値を持って行くもんだと思っている.
コンテンツの価値をどう残していくかは、もっと当該メディア達は考えた方がいい.アグリゲータに翻弄されすぎている.まあもう自力じゃ発想できないほど弱い立場になっちゃったのかね?とはいえ、アグリゲータ(と素人のSocialな書き込み)だけで、成立し続けるわけがなくて、それこそ「多様性」と「質」のバラエティは、どこかで必ずニーズとして残ると思うのよね.そこをうまくお金の価値にしないとね.


価値の生まれる瞬間と、お金が払われる瞬間は 同一ではない場合も多いのだから、普通のトランザクションが成立しにくい世界は、むしろズレること前提で仕込むべきだと思うのよ.


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いや、ほんとに自分の時間が取れない.なんなんだろう?
あと最寄りのファミレスが24時間営業じゃなくなったのよ、
このままじゃ、更にオフィスに朝までいる日が増えちゃうじゃないの!ひどい.