一元化か、分散化か
昨日の話題は多少修正.もっと抽象化して考えれば、数ヶ月前に考えていたコンテンツの消費形態について「一元化されるか」「分散化されるか」という思考と同じ結論に行き着くことを、本日のWBSの冒頭で流れていたICタグのネタを見ていて思いだした.
昨日の話題のどの辺が修正かというと、同一物体上の別メディアに同一情報をおくことはやはり意味が薄いとは思い続けているものの、ICタグの側の使い方次第では分散化した別次元のコンテキストとして価値を置くことで意味は出てくるだろうな、という部分.そこはサービスとかビジネスアイデアベースでの話になるので、今回は割愛.
話は戻り、コンテンツの消費形態が「(提供者側で)一元管理化されるか」「(利用者側で)分散管理化されるか」の話.
所謂サーバ方蓄積で消費者の手元にはいちいち覗きに行かせるそれ自体リアルタイム性重視のコンテンツ*1の消費の仕方を指しており、「分散化される」とはiPodのようにある程度、変化しないコンテンツを保持させることで消費させる仕方を指している.*2
一元化したサーバからいちいち落としてもらって再利用は出来なくするほうが、コンテンツ提供者側としてはPay/ViewもしくはPay/Clickで課金しやすい とかいう提供側の我侭発想は抜きにして、正直に真摯に本当にその物自体を有意義に消費するとしたらどういう形式が求められるのか・・・を考えたのが数ヶ月前である.
分散化させる、言い換えれば それそのままの形で消費者が独占的に保有できるということであるだけに、人間の純粋欲求からすると「独占欲求」「私物化欲求」としては満たされる.しかし、保持する数が増えると言うことはそれを認知して選択する(もしくは捨てる)という、記録・記憶・意思決定の数・メンテナンスというコントロールコストが増すというデメリットもあるはずだ.
その一方、提供者側に一元管理されたものをその都度とっかえひっかえできるということは、技術的な発展の恩恵である「いつでも新しい」という「リアルタイム性」「新らしもの好きな感覚」を満たすことができる.ただし、繋がって更新できることのメリットが高まれば高まるほど、そのインフラが否定されたときの失望感への対応・応急処置の策が無ければ、サービスの仇となるはずである.
どちらにもメリットが存在するわけで、どちらかに収束するというよりも、これは双方両立されると考えて、そのバランスに何らかの仕掛けを作る、もしくは割り切る、もしくはその絶妙なバランスをセンスとしてさらに売り物にしてしまう・・・などがこれからのウマサなのだろう.
古くからの音楽プレーヤーを振り返ってみれば、カセット/CD/MDプレーヤーは、固形物の入れ替えで楽しんでいた(消費者側へ分散)が、ラジオ機能は垂れ流す(一元管理されている)使い方を一般的な消費ロールモデルとしていた.だが、iPod/iTunesは消費ロールモデルとしても その溜めるか更新するかというコントロールをある程度消費者側に握らせたという意味で面白いわけだ.HDDプレーヤーのタイムシフト機能などは、そのコントロールを消費者に託している.
次に面白いものを提示するビジネスは、物事のどの領域に 消費者のコントロール可能性を置いて*3、どこを縛るのだろうか.
しかし・・・仕事上書けないレベルの具体的なアイデアをぼやかしたまま 概念だけ抽出しようと文章にするのは無理があると感じるここ最近.コマッタワ━━(n‘∀‘)η━━!!