「ものが壊れるわけ」を読んで

マーク・エバハート(2003)「ものが壊れるわけ」

 この本は、モノはそもそも壊れるリスクのあるという前提の下に、これまでの技術発展のお陰で「壊れにくいものになってしまった」がため、技術が壊れないことをコミットメントのようにしてしまった(壊れるようなモノを作る企業が悪い、という理屈での訴訟が増えている)ことを モノと技術の進化の歴史を織り交ぜながら書かれている本である.

 しかし著者は、その技術が優秀なために起こった 科学技術の成果に対する あまりにも単純な理解(「そうなるものだ」という その背景に在るリスクや限界を理解せずに結果だけを知っている状態)に疑問符を掲げたのが、この本の本質である.



 ここからが私の感想.

 技術的な背景を理解してもらった上で、それでもそのモノを使ってもらう それが本当に技術企業として進んで行くべき方向ではないだろうか? サービスに対してのDisclosure/Informed Consentという概念は、大きく力を持ち始めている.これがテクノロジー面に対してだけ例外だと言えるはずはない.
 人は本質を知りたがっている.短絡的に考えると、現代はあまりにもconvenientなモノが増えすぎていて、簡単で何も考えずに使えるモノが求められているように思われがちだが、プロセスが簡単になることと、そのモノの本質を知っていることが天秤にかかっているわけではないことは、冷静に考えれば気が付くことだろう.

 企業はモノを提供することで、人「を」利用しているわけではない(収益源としての利用).モノを提供することで、「共に成長する」からお互いに継続性を持って良くなって行けるのだ.そのためにはモノも技術も押し付けではいけない時代が来るだろう.



 著者は最後をこのように締めくくっている.
「技術が未来を作る何かを導くものになるべきだとすれば、『技術はなぜ生じるのか?』という答えを探すべきかも知れない」