人は何故、ヴァーチャルを求めるか

 今回の話は、企業でもいいし、コミュニティでもいいんだが、既に明確な形で人々の営みのサイクルが成熟してしまった「国としての組織体以外」はヴァーチャルな世界と同じ扱いで対象とし、人が何故ヴァーチャルに理想郷を抱き、そこで新しいコミュニケーションや生産物流通や価値の創出などをしようとするのかを 人間心理的な側面だけでなく、技術革新と人間の生活の進歩に着目して考えたい.


 再三 他のエントリでも書いているが、技術革新が人々に何をもたらしているか と考えた時、それはそれまで(物理的に)超えられなかったバリアを超える手助けになっていると考えている.どんなにエンタテイメント性の高い技術であっても、それは人間の享楽への欲求に答える形で それまで成しえなかったことを出来るように支えている、と捉える.


 そんな中で、なぜ人々はヴァーチャルを始めとした 別の帰属性を求めるのだろうか.
 私はこれを先ほどの「バリアを超える」一つのツールとして存在させたいという根底欲求からきているのではないか、と考えている.確かに今人々の最大の所属先である「国」という存在は、他者からの攻撃や衛生福祉的な害から守り、そのためのルールを管理してくれている.が、しかし 多様な価値観を持ち合わせた人々は、この一つの区切りとしての所属先しかなければ、必ずそこにあるルールに不適合な、もしくは 誤って溢たた存在が出てくる可能性がないわけではない.
 先日も「技術革新が 人々の選択肢を増やし、参入可能性を高め、そして失敗した時の再チャレンジ(セーフティネット)としての可能性を促進している」というような内容を書いた気がするが、やはりバーチャルを始めとする 新しい営みのサイクルを人々が求めている理由は、ごく自然な 人間の選択肢の増加を欲したものではないか、と考えるのだ.


 しかし、確かに、リアルな世界も改善され続けている.だがしかし、何故 他の帰属先と そこでの新しい営みサイクルを作りたがるのか.

 それは 企業で言えば「母体で事業を運営するよりも子会社を作ったほうがいいよね」なんて判断される時の思考と同じようなものだと考えられる.結局のところ積み重ねてきた年月が長ければ長いほど、そこに帰属するルールや習慣や役割は 特有の安定状態を作り出しており、既得権益などに縛られ、その安定状態から抜け出しにくい.そうなった瞬間に、結局のところ改善とは言っても、そこでは救われない価値観も存在してしまうのだろう.



 コミュニティ、
 ネットワーク、
 そして技術力と資本力
これらが揃った今だからこそ、物理的にも人間の心理的にも 価値観の帰属先として頼るべき主体が増えてもいい時期なのではないか、と考えている.「選択肢を増やす」という意味で、これまでの主体以外が作る ルールであり、価値であり、その世界 というものに期待したい.