過去と現代の景気

#最近、マジで四六時中「考えること」しかしてないので、結構脳が疲れます.
#仕事してても こりゃ良くないな、と直感的に思うこともたくさんあります.
#ついでに?blogのタイトルを従来のものに変えようと思います.



 さて、我が友人のピロコが「モノゴコロついたときから不景気ばかりで、景気が良いなんて思ったことないから 今が異常だと思わないんだけど」的なことを書いていたわけだが、確かに 感覚としては私も同じように思う.不景気だとも思わないし、景気が良いとも思ったことはあまりない.
 ということで一歩思考をシンプルにする為に進めてみた.

 景気循環は起こると言いつつも、在庫調整的なものは 経営技術的にもかなり無駄無く効率的なものを提供できるようになったため、それほどダブついたりしなくなったのは確かである.以前の オリンピック景気のような「人間の心理」的な景気変動については、さらに現代少なくなっていることだろう.あまりに人の嗜好が多様化したために、全ての人が一気に熱中するような対象が少なくなり、動きが分散しているからだ.あえてどの枠も超えて同じ動きをするとしたら、戦争やら天災やら 満遍なく起こる経済状況の変化があった時だけだろう.
 世界が グローバル化と言う波で技術的にもフラットになりながら、それは経済が満遍なく流動性が高まったと同時に、超えられない壁が別のところにできつつあることも たくさんの人たちが認識しているだろう.そう言う意味で、景気を語るときに どのターゲットセグメントがどういう不景気・好景気の波に遭っているかは 見極めて損はないように思う.


 効率化する、無駄を省く、そして地球に優しくなる というのは、全てこれまでの無駄な経済流通を より真価に近い形に落ち着ける、ということだ.以前も「限り無く原価を知られやすく、原価に近付きやすい」と書いたように、ある意味 とても正当な方向性に動いているわけだ.株のブームや、賭けに近いような広告投資など そういうものは今「予測数値」に不完全性が存在するからこそ 存続できている.カジノの「期待」と「想定ミス」みたいなものだ.そういった中でも「直感」「目利き」的な領域は 一部今後も高い付加価値領域として残って行くだろうが、ほとんどの騙しに近いような博打打ち投資は収束に向かうだろう.
 そう考えると どちらに向いても、「大盤振る舞いにお金を使う」消費行動は抑制される動きに進むのは目に見えている.地球に優しくなった時、投資する先は 人の才能 となる.ある意味、人材発掘や教育を促すような動きにお金が集中しだすだろう.どこが「景気のいい消費先=お金を投入したい先」になるかは、より本質的であって しかし「原価を見破りにくい・近付きにくい部分」にくるだろう.