抽象化はパワーが必要な作業

 物事を抽象化して、それをイメージに落とし込むときって、かなりのパワーが必要となる.対象となるものを まずはシンプルにしなくてはいけない.
 そのために「範囲を作ること」からはじめなければならない.世の中は広く見つめれば見つめるほど、真実らしく見えるが、多くのパラメータを包含しているだけで、本当の原理を理解するには到底追いつかなくなる.
 その次はその範囲に置かれているものを「極端化」する.時には0・1までに極端に落とし込まなければならない.意識の中の既成概念が邪魔しないように 脳に「割り切り」の指令をかけ続ける作業はとてもパワーが要る.
 シンプルに成りきらない場合は、その中にいくつかのパラメータが組み合わさっているから.まとまりのいいところに分解して、強い要素を見出し、「要素分解」できるよう再構築し直す.このときに、はじめに決めた「範囲」が 都合を悪くしている場合があるので、見直しをかける必要が出てくる.何度も何度も繰り返しだ.初めの自分とそのあとの作業を否定しなくちゃいけないのも、これまたパワーが要る.
 そしたら今度問わなきゃいけないのは、それが何なのか.極端に言ってしまえば「良いのか・悪いのか」「いい方向に行っているのか・悪い方向なのか」そういう 流れ を見る必要が出てくる.これは大体 いくつかのパターンになっていて、一番参考になるのは「自然摂理」だ.重いものが下に落ちる だとか、二項対立には裏と対偶の存在がある だとか、脳が処理するときに複数個所に分岐して処理してる だとか、そういうもの.自然に近い動きであれば動きであるほど、「安定」に向かう.大抵の場合 安定状態が正解であったりする.



 まあそんなことをして、これまで何度も 趣味以外でそういうことまとめたりするんだが、労力の割りに軽く扱われちゃうわけ.逆に私にとっては目の前ですぐに結果が出る簡単な作業のほうが、大きな(見えやすい)評価として見られたりして、結構不満だったりする.行けども行けども砂漠.