争いの無い世界の中で、本質的なことを実行するには

※大企業思考シリーズ(いつからシリーズやねん).最近疲れきってて書く余裕無いんだけど、今日は電車で座れたのでその間に書いた.


 人間は思考が多種多様であるから、その接触時には 差異をどうにかしなくてはいけない.接触時に お互いが出すエネルギーに大差があると、そこに不釣合いな関係が現れ、本来の意味の合意・納得にはならない.極端には 量的な勝ち負けが生じる.合意・納得を目指すためには、お互いのエネルギー出力に極端な差が出ないようにする必要がある.大きな力でねじ伏せるとそれは、制圧でしかない.
 お互いに極端な差が出ないようにするために一番短絡的な方法は できるだけ主張しないことである.これは「囚人のジレンマ」状態である.本当は、言いたいだけ言い合ってお互いが萎縮しない状態で合意がなされるのが、最適な選択を生むはずなのに、軋轢を生まないために最小の主張になる.争いの無い世界を作るとき、何もルール敷設や調整機能が設定されない限り、多くの人間が 多くとの摩擦を避けるためにできるだけ 我を通さないということになる.日本の現代社会は多くその方向で進んでいるように思う.
 いやむしろ、日本のこの状態は 世界的に見れば逆なのか?普通は「強く言う人が出てきたら損するなぁ」とおもうから 多めに主張する(US)んだろうが、日本は「あとの恨み」を考えた 繰り返し型囚人のジレンマ状態なんだろうな.


 さて、このような中でも本質的なことを実行するためにはどうしたらよいだろうか?本質的に正しいことを実行しようとしても、多様性ゆえに 理解力・理解スピードの差異によってそれを受け止められず、合意を取ることが非常に難しいのが現代社会である.ここでねじ伏せることを許されたのが過去の社会である.うまい具合に成熟して、平和で争いが無いことを「徳」としてしまった故に、理解力の差さえもそれが多様性の一部として許容する必要があるのが「現代」だ.
 このような多様化容認社会の中で 合意を取るためには、「1)言われたことを全て反映するという方法」と「2)死角の無い案を提示する」という2つの選択肢があるだろう.


 1)をするとたいていの場合「多くのメーカーの商品はエッジが無い」とか「マスターゲットで結局売れない」とか「結局何がコンセプトなのかわからない」といった ぼんやりとした商品が生まれる.つまり、結局本質には辿り着かない.
 しかしながら2)を実行しようとすると、それはそれは時間も労力もかかる.その上、出来上がったときには時代遅れであったりする.だから時間に追われている限り1)の方法に流れがちである.


 しかし、1)こそは 大企業がやっても無駄な仕事であったりする.スピード重視で改善をかける商品なんぞ、ベンチャーでもカタチに出来る時代だ.本質的ではなくても、スピードと改善で売れる.
 2)は、出来上がったときに古臭くならないように、「先見の明」が無ければならない.つまり、「このセンス」なくしてスピードの遅い大企業はやってられないはずなのだ.大企業は、スピードが遅くても大規模or長期投資する 裕福な領域にしか 本来は手を出してはいけない.
 簡単で、楽しくて・・・なんて分野は もはやコモディティ化して ベンチャーがやる領域なのだ.食糧難やら労働力何やらの時代は、トラクターやらそういうものがメインストリームで、「簡単・楽しい」なんて分野は よっぽど裕福な企業しか手をつけない分野だった.同じように、現代はベンチャーには出来ないほど 裕福な立ち位置に居なければ手をつけられない領域を選ぶ 先見の明を持たなければならない.
 争いの無い平和な社会で本質的なことをやろうと思ったら、先見の明を持つセンスで 今は美味しそうに無い分野を見つけ、死角の無いロジックを持ち、長期戦でも粘り強いプランを立てること.

なぜか。大手家電メーカーは大変大きな企業体なので、マスのなかのマスを相手に商売をすることを前提にした組織体系・意思決定機構になっている。Appleのようにニッチを狙うことに慣れていないのである。

「日本の家電メーカーが出す商品はなぜ”もっさい”のか」 −キャズムを超えろ


※ああ、もう眠い.眠いけど、まだ資料作り終わって無い.困った.