それでも、これから原発に向き合うべきだ

 今回のことで私は、日本も多くの他の国のように「かつて栄えた国」の一つになったんだなあと感じた.きっとこの先しばらくの間で、電力供給も公共交通機関も食料流通も これまでの日本のように「きっちり動かす」ことができなくても平気な国になっていくだろう.いやむしろ、しばらくそうしたほうがいいとさえ考える.

 技術は、「作る」「持つ」だけではなく、「使いこなす」ことができないと 今回のようなことが起こる.「使いこなす」とは あるべき仕組み・ルールについて「自然にそう行動できるくらい慣れること」と、更には「例外処理が起こってもそれを選ぶ」ところまでいけるようになることだ.
 できないならば、どこぞやの企業のように「作る」だけ作って「他人にやらせる」ようにするしかない.いろいろなエントリーでこれまで何度も書いてきたと思うが、「他人にやらせる」ようなロールに決めるということは、雇用できる人数に限りがある ということに他ならない.日本が他の多くの欧州諸国のように、「かつて栄えた国であって人口はそれほど多くない」という状態に向かっていけるのであれば、それでも良いかもしれないが.

問題を捉える視野の問題

 今回の原発は、技術的にはもっとできることがあったはずのことを“ある意味の過失”によって事態を悪化させた.
 私がもっともイヤな気分をしたのは、稼動していない4号機で、使用済み燃料プールの火災が起こった時だった.本来私は、原子力発電についてむしろ推進派であり、これ無くしてしばらく日本の発展はありえないだろうという要素の一つだと思っている.地震を検知して緊急停止が行われることなんて、技術的に「作る」精度が高ければできるので、ああさすが日本の技術は誇らしいな くらいに思っていた.がしかし、4号機の火災を見て、これは一連のトラブルがしばらく収束に向かわないだろうと判断した.右手に新しいおもちゃをもらったから左手のおもちゃは手からこぼれてました、お前は赤ちゃんか!みたいな突っ込みをしそうなくらい、恐怖を感じた.
 4号機の出火は、問題を捉える視野の狭さを露呈した.「停止状態」だと思い込んでいたところでのトラブルは例外処理・想定外であったはずで、ここにトラブルが起こるということは、これ以外にも見えない範囲での失敗をたくさん生じさせていく可能性があるということだ.どんなに「今」が問題なくても、これから何が起こるかわからない.きっと問題発見だけでなく、解決方法も狭い視野の中からしか生み出せないのだろう.だから、「やってみたら届きませんでした」なんて放水車を用意したり、今更になって東京都から消防車を借りてくるとかの結果が起きる.
「リスクのリスク」「無知の知」の領域の扱いが下手な場合、物事が好転するためには、「運」か「人・ルール・方法の全てを取り替える」しかない.
 しばらく好転することは無いと火曜日の朝に判断し、15時に会社から「帰宅指示」が出た時点で もう週明けまで外に出るもんか と思ったものだ.

わからない領域をどう扱うか

 リスクマネジメントなんてものは、「種類」と「時系列」の両方についてMECEでカバーできように「課題出し」と「対策」を用意しないとだめだ.しかも、それら全て一つ一つ解を作るのではなく、ある程度のパターン化によって網羅するようにしなければ、何の意味もない.ルーチン化されていない問題なんて、ほとんどが例外処理にしか当事者には感じられなくなるのだから.

 種類の話を含め、物事を抜け漏れなく洗い出す鍵は「ある」「ない」に分類することだ.パイが100%になるように分類を「数字」か「ある・なし」で冷静に埋めるしかない.
 漏れの無いパターンを作るための問題設定は「トラブルが起こる→炉を停止する」ならばもう一つの設定が「止まらなかったらどうするつもりか」、「炉を停止する→冷やす」ならば「冷やせなかったらどうするのか」であって、「止まった→もう一つ用意しておこう」ではない.多重化しておくことは、安価に導入・運用のできるソリューションではあるが、例外処理には弱い.解は「違う条件」を持つことが重要だ.
 例えば、建屋が崩壊していなければ、今日はいったいどんな対処をしていたのだろうか?穴を開けるのか?そういえば2号機に対してそんなことを言っていた時期があったな.どういう状況にきても 穴を開けることにしか行き着かないなら、最初から穴が開きやすいようなソリューションも持つべきだ.今回、3箇所とも建屋が吹っ飛んだのは「実は“最後は上から水を入れるしかない”と想定していた故、天井は抜けやすい素材で作ってました」と言ってくれたなら、一気に信頼を取り戻して、私は通常勤務に戻しますよ.

 時系列的に言えばトラブル対応は「(1)トラブルが起こる→(2)通常の動きを止める→(3)止めたときに起こる問題への対処を行う→(4)問題が起こらない状態に持って行く→(5)再起への行動に移る」、これらの流れのそれぞれで「(A)現状把握→(B)施策修正」を繰り返すことによって移行させていくもの.
 アホな対応でよくあるのは、(2)のパターンをたくさん用意するが(これまた一つ一つ解を作るおかげで結局網羅されてない場合が多い)、(3)と(4)の差についての意識が低いことだ.通常の動きを止めれば、反動・歪みで大抵何かが起こる.小さな問題だと、何かが起こる方向が「収まる方向」である場合や(つまり3と4が同じ)、3から4の移行が早くて意識できないものだったりする.まあこんなの、高校の授業で化学を取っていれば、ある程度予想のつく範囲の自然摂理だろう.
 時系列で捉える点での例としては、原発に対する動きの話だけでなく、政府の停電判断も言えるだろう.需要がOverぎみだからと言って「企業に節電をお願いしました」って、交通機関の企業にお願いするか?普通.朝ではなく夜であったことを考えても、人間の自然な行動として「オフィスから家に帰る」という行動にしか流れない時間帯である.夕方に「節電してください」と言って、「おお、じゃぁ節電のためにも今の位置に居続けようかな」とか「よし早めにオフィスに出ちゃうぞー」とかは、多くの人が思わない時間帯だ.と言うことは「オフィスを絞る」→「電車を絞る」→「家を絞る」の順に施策を打たなければ、どこかで滞留するだろう.オフィスから出させる施策を打つ前に電車を絞ったら、オフィスに残らざる得ない人間が増えるに決まっておろう.しょうがなくそういう状態に陥った先週の金曜日でわかっていることだろうに.

 まあその前に、緊急停電にしないために計画停電していたけれど、「計画停電しても緊急停電の必要が出てきました」なんてのうのうと語れること自体がどうかと思う.それって施策が想定内に収まりませんでしたという判断の失敗を露呈しているのに、なぜ誰も焦らないのか?この人たちは、約束を破ってばかりではないか.「今後は想定通りになる」なんて言葉、誰が信じるのか?

日本の大部分はしばらく発展しない

 ともかく、政府も企業も「全体を網羅できず、目立つところに意識が集中しすぎ」ている.First impressionで得た視野範囲での意思決定しかしていないから、全てが後手後手になっている.
 たぶんこれは、今回の問題だけの話ではなく、東電だけの話でもない.多くの日本の企業・人々に、同じようなパターンが生じている.ルーチンを回しているだけならばどうにか問題を起こさないが、何か不測の事態の中で行動を起こすことは無理だ.
 もう我々のほとんどがこの思考パターンに基づいた生活に慣れきっている.

 例えば、今回の問題に直接関わらない人たちの行動だ.人々が募金・支援という間接的「解」だけで思考をStopさせているのが気持ち悪い.それがどう使われるのかに責任も興味も持たない 目の前だけのインスタント思考をやめなくちゃいけない.節約という考えだけでもだめだ.節約は事態の悪化を緩やかな動きにするだけで、改善に持っていくソリューションではない.好転させるためのクリティカルな施策が全く打てていないにもかかわらず、なぜか「この国は復活する」だとか「底力がある」「もう新しい一歩を歩んでいる」なんて思い込むことができているのは、意味がわからない.
 この国がダメになっている要素としては、ほとんどの人が「当事者意識なく時系列思考がないこと」と「現状から何かをやめるというコストダウン思考しかソリューションを持てなくなっている」という2つの思考に“慣れすぎている”ことに尽きる.この2つでは、動きを変えることはできない.できることは延命措置だけだ.

複数のパラメータを一度に扱う

 そんな2つのPassiveな思考に占有された状態なので、「動かす」思考はめっぽう弱いようだ.
 例えば、放水するという一つの行動をとってみても(これ自体、改善可能性が非常に低いソリューションだとほとんどの人間は気づくと思うが)、破片の飛び散りのシュミレーションをしていて という理由で、予定より何時間も遅延した.「時間経過によって原発が起こすリスク」と「対処によって原発から受けるリスク」の一方ずつ別々に判断しているんじゃないだろうか?
 この問題だけじゃない.出会う多くの人を見ていても思うが、パラメータが3つ以上になったときの判断の悪さはひどいものだ.2つまではいけるらしい.3つになった瞬間に、よくわからない論理の積み重ねになっているか、「最後はエイヤで決めました」とかやっつけ仕事になっている.

 かといって、「全てのパラメータが論理的に正しくなるまで行動しません」というのもアホなのだ.その結果「シュミレーションやってて遅くなりました」になるわけだ.大体 生きている中で、影響するパラメータが1つか2つしかないなんて、数学の授業以外ありえない.
 パラメータが多くなれば、それらのパラメータをいくつか大きなくくりにして、パラメータを再度減らす努力をして、自らの情報許容Limitを抑え込む必要がある.これは、{わからない領域をどう扱うか}のところで書いた「全て一つ一つ解を作るのではなく、ある程度のパターン化によって網羅」に似た考え方だ.
 パターン化による網羅は演繹的手法だが、複数のパラメータをひとくくりにするのは帰納的な手法だ.

 ここまでが分析的な(A)現状把握.ここから実際の行動を起こすためには、順位付けという意思決定が重要になる.これなくしては複数のパラメータを踏まえたアクションは起こしようが無い.施策は「全部大事」なんて発想からは生まれない.やらないことを決めることで、実行する順番が決まるのだ.

くさいものに蓋をするな

 美しく紳士な日本人たちは、例外処理を認めない.「○○をしないと決めているのだから、○○のための道具は要らない」と一つの解しか持たないから、例外が生じたときに 応用の利くものが一つも無くなる.「戦争をしないと決めているのだから、武器は要らない」とか「原発は安心だと決まっているのだから、周辺住民に危機対応の事前情報は要らない」とか.
 もうこういった、押し付けがましい優等生の考え方をやめてはどうだろうか?世界では「例外も含めて自分の価値観で判断できる」というのが、一番強い時代が来ているのだ.偏っていない情報を集め、向上心を持ち続けるということが最大の武器になる.だから、大量の情報処理系・関係性の情報処理系・学習支援系のツールを提供しているところに金が集まるのだよ.

 とは言え、現状の日本では「本当の情報を流すとパニックが起こる」という判断で、いろんな情報がフィルタリングされている事実も理解できる.直近の破綻を守ってあげている という話ではあるが、行き着く先は思い込ませることでの洗脳しかない.これは少人数のコミュニティしか維持ができない.これも、「動かす」パワーは持たない.
 根本的な解決としては、「本当の情報を流してもパニックが起こらないようにする」ことだ.それには学習しかない.“それがどの程度のことなのか”ということを自分で判断できるように、学習して慣れさせなくてはいけない.これを始めない限り、いつまでたっても本当の情報を流すフェーズには入れないだろう.

 情報を得て、学び、考えて、生み出すことしか解決策は無い.我々はこれから、その再構築・特訓の時間が来る.

これからについて

 冒頭でも書いたが、しばらくの間「国民自身が国を信用できない国」になっていくだろう.予定通りに交通機関は動かないし、ずっとインフラが安定しているなんてことはないし、食料だって安全なものがいつもそこにあることなんて確約できない時代に突入するだろう.しばらくは我慢するしかない.何も発展途上国に戻れと言っているわけではない.先進国のほとんどの国はこういう状態であって、「日本が特殊だった」とは以前から評されていることだ.単純に我々は、精度を高く使いこなす力が無くなっていただけだ.いつの間にか失っていたのだ.過去の蓄積によってルーチンを回すだけになって、能力が退化していたのだ.使いこなす力が無いのに持っていたら、トラブルしか起こらない.これからまた、使いこなす力を取り戻すトレーニングをしていく必要がある.
 もしここでまた目先の延命措置取れば、どんどん本当の情報を流せる国にするタイミングを失っていくのだろう.例えば、「もう原子力は使わない」と言ってしまうと、しばらく成長は無い.新エネルギーを作ればよい?それが成立するまで、どうするの?それでも運用していけるレベルまで人口を減らすかい?またそういった例外処理を認めない極端な判断をしたら、応用の利くものを失うだけだ.パワーを持つものは、使い方を誤れば危険になるのは当たり前.危険でないけれど、パワーはあるなんて、そんな都合のいいものは存在しない.ダイナマイトだって、いいことにも悪いことにも使える中で、人間が使いこなしていった.

 その「使いこなす力」と言うのが、これまで書いてきた「認識を広げる」「わからない部分を扱う」「網羅的で条件が分散した設定を行う」「極端な判断をしない」「複数のパラメータをくくる」「順位付ける」「学ぶ」だ.これらを「自然にそう行動できるくらい慣れること」と、更には「例外処理が起こってもそれを選ぶ」ところまで持って行かなくてはいけない.これは時間がかかる.しょうがない.力を失うほど堕落していたのだから、取り戻すまでは我慢が必要だ.

 とにかく我々はまず、原発と向かい合う必要がある.原発は福島だけに存在するのではなく、現に今稼動しているものが存在する.それをGiven conditionとして受け入れた上で、そこから何を得るかが重要.原子力をどう使いこなすのか、オペレーションの再建をここから学習していくしかない.ここで逃げたら、簡単な問題にしか取り組めなくなってしまい、いつまでたっても次のエネルギーになんて手出しはできない.原子力を扱うということは「技術力」「技術の使いこなし力」の塊である.使いこなせるようになったとき、また安定して精度の高いインフラの運営ができる国になっているだろう.


 技術は悪者なのではない.悪者にしてしまう力の無さが問題だ.とにかく技術を愛してやまない一人として、技術を悪者にしないように守っていきたいし、守るためにもこれまでを反省して今を受け入れたい.