Stands in the between "Galapagos" and "Creativity"

日本人は「ガラパゴスに陥る失態」と「クリエイティビティを発揮する才能」との間で揺れ動く存在なのだなあと、最近感じる.


新しい仕事では、幸運なことに外国人の若い子たちと机を並べて働く機会を得ている.
ここで強く感じたのが、日本人のクリエイティビティが その他の国では当たり前の「常識」を持たないことによる恩恵であると確信するとともに、「国外で売れない」理由を作っていることも痛感した.

例えば、こう言うのだ.
「中世の騎士の設定なら、騎士同士が戦うなんてあり得ない.騎士は力を合わせるものであり、他の勢力と戦うんだよ.」
と.
想像力に制限のない日本人は、騎士団の歴史や常識が頭に入っていないために、「防具を着ているなら戦い!戦うなら騎士同士もあるよね.」なんて設定を不思議だと思わない.
こんな例は枚挙に遑がない.

国外の彼らはどうやってその常識を得てきたのだろうと不思議になるほど、日本での教育では根付かないような常識が 当たり前のように語られる.


縛られるストーリーがないからこそ、新しい組み合わせを生み出せるが、ストーリーを知らないからこそ 一般人が受け入れやすい売り方に気付かない.


ブレイクスルーを起こせるかどうかなんて、どこの常識に囚われているかを意識していれば、なんとなくバランスはとれそうなものだが、現代人の私たちは「あたりまえにやるべきこと」を実行できない ひねくれた民のようだ.