収斂を俯瞰する

 ものごとはいつも、極端でない点に収束されがちである.所謂、中途半端な状態というやつだ.そんなことを書いたら、「直前のエントリーであんたはシンプルに白黒はっきりしろって書いているのに、何なんだ」って言われそうだが、それは全く訂正するつもりは無い.正解や本質は白黒はっきりしている.だが、人が関われば関わるほど極端でないところで決着する.ゆらぎのようなもので、結局 0・1ではないところに落ち着いたりする.

 だからこそ、本質という極を意識しながら、実際という極端ではない点での収斂を意識すべきなんだろう.そのバランス感が重要だ.
 バランス感と言うのは、一見 「極端ではないということ」を指しているように思える.つまり、あっちの極とこっちの極の間で、どこに落ち着くのかという点を考えることだ.しかし、それは正しいバランス感ではないように思う.本質的に正しいことは、結局の場合 自分の意志に基づくと どうにか白黒付くものだ.それに対して迷うわけではなく、解を踏まえた上で別のパラメータとしての「さてもう一方極端でないとしたら何があるのか」を意識することがバランス感覚なのだろう.これは、自分の意志としての解を揺らがせる、というものではなく、解に対してどの程度 許容できるのか、俯瞰することだ.
 現実とは、放っておいたら正解に辿りついてはいないものだから.


 人の世は、文字で記されるよりもずっと利己的で 個々人が己中心の価値観で回っていることが多い.だからこそ、嫌なものや苦手なことは遠ざけるし、好きで楽なものを選びがちだ.しかしながら、辛いこと・嫌なことには、しばらく留まってみることが重要.しかし、留まりすぎないことも更に重要である.慣れというやつに嵌ってしまっては、元の木阿弥である.見極めるディシジョンポイント(期日)を意識して、俯瞰することが重要.収斂しがちな「極端ではない点」を意識して、(別に存在する)自分の意志としての答えを見つめるのがいい.