つもり

わかったつもりで、分かっちゃいない.
分かってないなと思ったつもりでも、似たようなもの.

大体、誰かと対峙している時 相手に対して思っていることは
相手も自分に対して思っている感情と同じことが多かったりする.

「なんだかこんな風に言われて寂しいな」と思っているときは
相手も「なんでこんな風に言うんだろう、寂しいな」と思っていたりするし、
「これはうれしいなー」と思っているときは、
相手も「こういうことをできるのが嬉しいんだよな」と思っていたりする.
空気感が近いと、意外にも
受ける感情が似たようなものに落ち着いていることが多いように思う.


しかし、感情が同じでも 対象とする事実が違うから大変である.
「困らせる」原因が、うるさいことである一方、
うるさいなーと一向に変わらないことに困って余計にうるさくなる、とか.
結局、原因が全く違うのだ.
でも、感情部分は似たようなことになっている というこの共通認識で、
ふわりと吸収できることがあったりする.

どこで吸収するか、とか
どこで妥協するか、とか
そんなもの どこにこだわってるかでしかなくて.


この、違うものに対する似たような感情が もどかさを大きくする.
わかったつもりでいて、分かっていないこと.
分かってないなと思ったつもりでも、似たようなもの.
少しずれて、少し同じなので、
事実認識を省略したまま判断したりする.



 中学2年の頃に、「新年の誓い」*1で書いた 『信じる』というタイトルの作文を時々思い出す.
 内容を端折って言えば、「信じるという行為は、相手を鵜呑みにすることでも、依存することでも、一方的に頼りにすることでもなく、自分自身の問題であって 相手がどうだろうが、自分がどう思うか・どう思えるのか ということが本質だ」ということを書いた内容であった.

*1:だっけ?我が母校は冬休みの宿題に 年始の誓いの作文と書初めがあり、クラス内で1番を投票で決めて、代表者は前項で発表する・・・という行事があった