本質が問われる時代の、平和ボケ

 人を多く必要としなくても物事が生産できるようになったのは、悪意ではなく 効率性を目指した技術や手法の進化と発展のお陰である.問題は、余った分で新しく何か「対価を得られるもの」を生み出そうとしこなかったことだ.
 サービスや仕組みを 他国から持ってくるだけであったり、労働力の安さを求めて 他国に生産を移したりするのは、効率性・スリム化という改善による付加価値を追い求めることはできるが、結局は新たに生み出す付加価値を見つけられない限り、限り無く原価に近付かせるだけだ.

 仕事を失っている人たちの多くは 周囲の環境や習慣の流れに沿った結果なのに 予想外の悪い方向に持ってかれたと思っている人が大半であろう.一人の問題・個人の問題とまでは言わないが、その「流れ」自体が 平和ボケした甘いものであったかどうかは誰か問うただろうか?
 本当に 対価を得られる付加価値を考え抜き、妥協無く仕上げた者しか 利益が上がっていないのが現実だ.それを差し置いて あまりにも多くの人間が、高度成長期に積み上げた預金やブランドで回して暮らしていただけであったことを忘れているのではないだろうか?
 ようやく要領がいいだけで結果の得られる世界がその幅を狭くし始めたのだ.あっちの財布からこっちの財布に移すだけで、マージンでお腹いっぱいにするのが本流のようになっていたことが、この度これだけ儚く散ったのだ.これほどまでも 厳しく、そして本当に やったことの結果がちゃんと反映される時代はこれまでになかった.厳しいが、これほど本質的に優しい時代はない.


 正月に実家に帰ったら、「パートのねえちゃんが、派遣・正社員の給料が高過ぎるってわめいてるよ」って話を小耳に挟んだが、「じゃあ何でそっちに変わらないんだ?」って問いには 「勉強しなきゃいけないから嫌だ」って言っていたらしい.こういう話を聞くと、無い物ねだりで 今急に労働市場が悪くなったから 自分が良くて選んだ(割り切れなかった)理由を棚に上げてるんじゃ?って思ってしまう.
 「夢(自分の理想の職種)」と「安定性」を天秤にかけて、いつまでたっても割り切れないだけだろう.今、正社員の人間のどれほど多くが 理想の職種を手に入れていると思っているのか? 20年前は、社会や体裁が許さなかったり、周りの勢いで 理想の職種じゃなくてもしょうがなく(もしくはいつの間にか)正社員の道を選んでいただけかもしれないぞ.
 なんだか理想と現実の間で いいアンカーを打てないでいる人は結構多い.職業選択だけの問題ではなく、普段の事務仕事のオペレーションとかでも.正解が4択しかないとか、一回しか回答できないとか思っているのかもしれないが、じわじわ正解に寄せて行くという 長丁場の戦いや戦略を持つ人は非常に少ないと思う.

 製造業の派遣切り、日雇い切りなんてこと言われているが、それは自然なことであり、その流れに乗らないと本当にまずいことになると捉えるべきだ.製造業は 多くの人たちが思っているよりも、ヒト余りの時代が来ている.自動化され、効率化され、果てには 安い賃金の国にアウトソースされ、人が居なくても製造できる時代になっているのだ.ここでワークシェアリングなんぞして堪えてしまったら、そこでその数年過ごした人が さらに近い未来に来たる「もっと人の要らない時代」に 何の働きをするというのか?ここでちゃんとシフトさせる土壌を作っておかなければ、それこそ国の責任問題になるぞ?


 ただ、働き口のなかった側が努力不足というよりも、諸悪の根源は 人減らしが必要になることを目の前にして新しい付加価値を生み出せ(生み出さ)なかった既存企業側だけれど.
 各階層で平和ボケして、甘えていたツケが来ているのだ.しかし、気を抜かなければ これはチャンスの時代だ.多くの人が苦しいと思うのだろうが、それはこれまでに慣れていただけで、地球上の多くの人たちは この風向きで救われる人がたくさん居るだろう.