DeNAやめました、その前にSonyやめましたけど

(自身の心の整理として書きます)
例え話として言えば、


ソニーは、広大な土地を持っていて たくさんの作物を育てているところだった.
でもね、どうしても耕運機を使おうとしなかったんだよね.
「いや、そんなものを使わずに人の手で耕すことで、十分おいしいものが作れるんだ!」
と言う人もいたし、
「耕運機なんて持ったら終わりだ!莫大なお金がかかって身動き取れなくなる!」
と言う人もいた.
私はずっと、耕運機さえ使えば 機械に任せた分の人手で、
直売するだけじゃなく 料理に加工するレストランもできるのに・・・
いやむしろ耕運機を使い始めないと、この右肩下がりを打開する策はないとも思った.
思い続け、訴え続け、そしてそれに向かって働いていたつもり.


何を思って それをやめたのかは後で書くが、
とにかく私は、耕運機をちゃんと使っている会社で働こうと考えた.
そこは確かにものすごい勢いで耕運機が動いていた.
しかし、よくよくそこで働いている人を観察していると、
むしろ耕運機を作ることを目的としているようだった.
しかもそれと一緒に農薬も売っていた.
ここは耕運機を使って「人においしいものを提供したい」のが目標ではなかった.


ソニーに入った理由

ずいぶんと昔の話になってしまう.
私は その昔、一つ法人を作った.
中学生の頃からの取り組みの一環だったが、
ありがたいことに 日本でもトップの とある商社と取引をさせてもらったことがある.
実はその取引には、相見積もりを取られた競合がいた.
そこで彼らではなく、我々が選ばれた理由として
「我々は大企業ですが、そこで取引する相手は
 実績や規模だけでなく、世の中にどうなってほしいかを考え、
 その意志のあるところを選びたいし、応援したいと思っている.」
と後で聞かされた.


いろいろあってその法人での活動は解消した.
一番解決したかった問題が、
 その活動では解消し得ない人間の心理的な部分に基づいており、
 さらに言えば そこの産業規模では到底 人の意識を変えられるほどのパワーがない
と私が判断したからだった.


力のある場所で仕事をしたいと思った.
それとともに、私がこのまま自分で仕事を作っていこうと思っても、
あの商社で言われたような発想には辿り着けないと思った.
学びたかった.



2004年の私は、
きっとこれからは、国と国の仕切りだけでなく、加えて
それを跨ぐような横の繋がりで何らかの生活体系ができてくるだろうと予測した.
俗にいうコミュニティは 概念としては弱く、
ともかく稼いだお金をどこで消費するか の循環を捕まえることが鍵になるはずで、
何らかの価値観の共通性で人の生活に沿うことが必要だと思っていた.
それまでのコングロマリットとは違う まとまり を作れるところを意識した.


そのときの私は、日本なんてどうでもよかった.
どうせ世界各国共通で 消費や雇用が流れる時代になるんだ、と.


ソニーを辞めた理由

私が心配性なだけかもしれないが、
とても優秀な人たちがいるのに 全社として右肩下がりであることは間違いなかった.
私の勤めた6年半の多くは カメラ関係の部署にいたため、
それはそれは優秀な事業成績をおさめ続け、それに至るに相応しい軍隊のような組織力だった.
しかし、それ以外はどんどん崩れていっていた.
入社したら、いろんな関係子会社は無くなっていたし、
入ったときにあったはずの建物や土地はどんどんと売られていった.
埼玉でWalkmanの工場が無くなったときに、ああこんなことがあるのか と思ったものだ.
どんどん国内工場は縮小していった.


自分たちの身も削っているだろうが、
確実に日本の雇用は失われていた.
でも誰が、それをまた増やすための動きをかけられていただろうか?
今ある売り上げを維持すること、そのための動きは取っている.非常に優秀だ.
しかし・・・

  • 会社自体明らかに、切り売りして縮小していっている
  • 商売も 会社全体的には右肩下がり
  • 今、利益のある事業もそれが全ての事業の雇用者を許容できる規模には大きくならない
  • 日本自体も明らかに雇用を減らしているし、それに加担している

何が問題か見えているのに、その課題にかからず別のことをするのは
どうしても性格が許さないらしい.


「確実」で「重要性の高い」ところに優秀な人をアサインする.
それは当たり前の判断なんだが、
「確実じゃないもの」を重要だと言い切るには、意志が必要になる.



6年半働いている中で、
日本の雇用や、日本の会社が担う役割に 強い思いを持つようになった.
たぶん私は、日本にいるからあの会社を選び、
あの豊かな会社だからこそ、自分で会社を興すだけでは学べない
寛容さを学んだのだと思う.*1


土地は選べない.他にも選べないものはたくさんあるだろう.
だからこそ、そこにある偶然性を大事にして、
丁寧に取り組まなきゃいけないと思った.


場所は選べないが、その場所が豊かであればそこの人々が幸せになれる可能性は増える.
人間は常に能動的で思い通りの判断をできるわけではないから、
全てを自己責任としてしまってはいけないんだと思う.


だめなときもあれば、がんばれるときもある.


DeNAに入った理由、辞めた理由

転職活動で、ありがたいことにいくつか内定をもらったが、
最終的に 一番日本で伸びている産業に行くことにした.


人は魅力的だった.
優秀な人たちを集めているのはもちろんだが、
誘っていただいた人たちは、とっても人間味あふれる素敵な人たちで.


中で行われていることも、
ソニーではあんなに難しいと思われていたことが
簡単に実行されたりしていた.


たった11ヶ月しかいなかったわけだが、
多くの時間を社長室というところで過ごさせてもらった.


一言で言えば、私が一番大事にしたい価値観が
会社の思想とズレていたんだと思う.
というか、求めていた会社のステージ・フェーズがズレていたのかもしれない.
ま、私がオトナになりきれなかっただけかもね.


スピードとか優秀さがベンチャーで必要とされるのはよくわかってるつもりだ.
自分だってあの頃、スピード重視でどれだけ物事をこなしていたことか.
その当時の私はそれに全く疑いもなかったし、
その陰で傷付く人がいることもわかっていたが、
それがもたらす大きな影響の意味と その失敗がわかったから、大きな企業に入った.
それはソニーで確信に変わったことの一つだった.
先ほどの項では書いてないが、泣きながらも叩き込まれた重要な学びだった.



日本だけでない、世界中で認められる大きな企業や大きな事業は、
うまくいく理由としての、それ相応のやりかたがあるように思う.
重要な一つの要素として、「受け入れる」というものがあると感じていた.
許容は行き過ぎると妥協になってしまうが.
ある価値観と意志を持って、在ることを受け入れることが非常に重要だ.


もっと経験のある大きな企業から、人が流動化すれば
そういったノウハウがいろいろな産業に広がって
経済は元気になるんじゃないかなあ なんて思ったこともあった.



「もう私、会社辞めなあかんわ.
 だけどどうする?また転職活動するの?
 どこへ? あれだけ悩んで決めたのに・・・
 無職? 働くのが大好きなのに!? 怖すぎる!」


こう思ったのが、3月末.
会社でも、あーこの人なら一緒に働ける と思った人たちが
立て続けに辞めた&辞めると言い始めた頃だった.


取ってくれて、最後まで留まるように言ってもらえたことは
とても感謝している.


で、次

学生のときの起業も、ソニーでも、DeNAでも、
私の目指す問題解決には繋がらなかったし、近付くことができなくなっていた.
そういう意味では、失敗だらけだ.


でも、学ばなきゃいけないことや、知らなきゃいけないことを
たくさん知った気がするし、
やんなきゃいけないことが更にはっきりとしたように思う.


あまりにも正論で、そんな当たり前のことを言っても 現実は難しい
と言う人もいるかもしれないが、
やはり世の中のために、人のために、少しでも何かよくなる・よくするための
ツールやサービスを提供していく、少なくともそれを目指すことが
企業の役割だと思うのだ.


会社は生み出す場所でもあるが、人を育てる場所でもあると思う.
大して勉強しなくても卒業できてしまう大学教育の日本だからこそ、
20代前半のまだ変われる時期に、どんな人に囲まれるか、
どんな思想で過ごすかはとても大事だと思っている.
事実、私はあの6年半、ソニーにいられて本当に感謝している.
若いときだけじゃなくて、歳をとっても余裕がなくなると
会社の思想や価値観に左右される.
働く環境の責任は大きいと思う.



見えている課題があるのに、それに取り組まないのは苦手だ.
どうしても、直球で取り組んでみたい.
パンがないならお菓子を食べればいいじゃない、みたいな発言だが、
自分で事業を作れるように準備しようと考えている.
またいい仲間と仕事ができるといいなぁ.


大学のときの友達には、「やっと戻ってきたか」とか
「長い回り道だったね」とか言われたが、まあ本人はそんなつもりもなく、
結構予想外なんですけどね.


事実として無職になるのは違いないので、だいぶ不安な時期もあった.
でも今やらないと、自分が成長しない気もした.



確実に日本は伸びる産業が足りない.
だからといって、右肩下がりの産業が急に好転するわけがない.
ヨーロッパのどこかの国のように 観光さえあれば、なんて言ってられない.
少なくとも海外から人を呼べなくなるような失敗ができてしまったのだから、
それを修復し、信用を取り戻すための力が必要になる.
多くを内需に頼ってもそこそこ回るかもしれないが、
外貨を稼ぐ・外との流動を増やさないと、必ず困る時が来る.
一方、国内の雇用の受け皿は必要.
高級な労働だけ残せばいい話ではない.
人間が成長できる基盤としての「簡単な労働」とそこからのステップを作る必要もある.
世界的にも求められる価値は変化している.
そろそろ世界の不平等を受け入れながら、どう互いが生きていくかの
解やツールを探すときに来ている.
世界全体で不景気だなんて言っててもあかんのだ.
その場しのぎではない、お金を使いたくなるものをつくらにゃあかん.
人の弱さを利用してお金を稼ぐのはしようと思えばできるかもしれんが、
それで本当に豊かになれるのか?本当に永続できるのか?
次に繋がる消費を生まねばならんだろう.
金儲けはそんなきれいごとではない?だからって諦める必要はあるか?


わかっていながら何もしないのは性に合わない.
たくさんの学びの恩返しの意味でも、取り組まないと.



だめなときもあれば、がんばれるときもある.
学び成長するときもあれば、発揮しながら成長しなきゃいけないときもある.
「できるとき」が大事だと思っている.
やろうと思った時やらなければ、いつまでたってもできない.


自信と勇気は作るもの.











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とりあえず、昨日辞めた区切りとして 考えていることをまとめておくことは大事だと思ったので書く.
残念ながら去年ソニーを辞めたときは、辞める前に ものっすごい仕事に追われたまま退職して、間たったの5時間で次の会社に出社・・・なんていう転職をしてしまったので、振り返る暇もなかった.
実社名で書くのもどうかと思ったけれど、いい企業をいいタイミングで経験させてもらったので、区切りということで一つ.
長々と、駄文申し訳ございません.
 これから直球でやりたいと言っているわりに、書いてる内容が直球じゃな(ry
という突っ込みはお断りします!が、叱咤激励ご指導ご鞭撻協力者は絶賛募集中です.



DeNAソニー、そしてその前の起業でご迷惑をおかけした皆様、申し訳ございませんでした.心よりお詫び申し上げます.ほんますんません.
長い夏休みにならないように、気を引き締めてやります.
あと、うまくいかなくて 鬱かアル中で死なないようにしまっす.

*1:どこがやねん!って突っ込まないでね.少しはマシになったのよ?