教育と経済、切り捨てようとしているのは誰か?

確かに私も、「教育」こそが 社会での意志決定を良いものに変えていくための一つの方法であるとは思うわけです.
できるだけ教育水準は上がっていった方がいいと思うし、そうすることで「ちゃんと良いものにお金を払う」人が増えてくれるよう願っている.


ただこの記事はヒドいよ.

山本太郎氏当選に思う--噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味」
http://agora-web.jp/archives/1549142.html

これじゃ、山本太郎がてんで教養が無いから政治に関わるべきじゃないと言っているじゃないか.
確かに、対立候補含めた所謂普通の政治家と タレント・スポーツ出身議員にはそういう差を意識させられることもあるが、今回の場合は単純に名前が売れていたから当選しただけではなく、明らかにその人のオピニオンが全面に出された上での当選だったと思う.


分かっている人は分かっている.確かに、デマまがいの根拠の無い主張もたくさんあろう.(ちなみに私は”脱原発”派では ありません.技術は使いこなせるように使い続けるべきだし、あの事故はリスクマネジメントミスによるものでしかないと認識している.)

だが、「そういう理解でいる」人が一定数居るということは、確実にこれで分かったわけだ.これに、「理解が足りない」「自分で勉強しろ」と言ってしまっちゃいけない、というのが今回の結果だったのだと思う.


「分からないのはお前たち自身のせい」と言うスタンスにNoだったのではないかな.

山本太郎の当選は「終わりの始まり」か?
http://www.huffingtonpost.jp/tooru-takeda/post_5251_b_3632881.html


地方格差の問題が折り重なって事態を複雑化させているのが日本の原発問題のひとつの特徴だが、一貫して脱原発を主張して選挙を戦った山本太郎にこの種の複雑性に向き合い、解決しようとする姿勢は見られなかった。

そう、教養が無いとその歴史が作った状況を理解することは難しいのですよ.
で、理解できないから混乱している人が多い.


確かに教養があって、より正しい判断のできる人が、国に関する意志決定をしていくことはとても効率がいいことだとは思う.
でもそれが、かなりの「置いてけぼり」を作ってきた可能性もある.


これはチャンスなんだと思う.
頭いい悪いの問題ではなく、一定数の人間に「伝わらない・伝わっていない」ことが歴然足る事実としてそこに存在し、そこに居る人たちを切り捨てないためのチャンスだ.


あれは誤った行為・誤った当選ではなく、一定数の人間が「何を知りたいと思っているか(何が理解できていないか)」の代弁であり、彼はこれから事実を知り、学び、それをその一定数の人たちに伝える役割を担うんだと思う(支援団体の善し悪しについては、ここでは置いておいて).
それを通して、今 混乱している人たちが、何かを理解して、何か次の一歩に踏み出せるなら良いことだと思う.それこそ教育の一歩を作れるわけだ.
たぶん、どんなに教養のある立派な政治家たちが「これは違うんだよ」と言っても、理解するきっかけにもならないだろうから.


そう考えると、大きな一歩だよね.


日本中の多くの人たちに、納得できるくらいの情報が行き届くことを願います.
仕事や経済の問題だけなら「伝えるすべ」を持って発信したら、それで責任は果たせているかもしれないけれど、「教育」として捉えるなら、「教養が無いから伝わらないだけ」、と切り捨てちゃいけない.