必要とする

人間ってのは、社会的な存在・年齢になると
「必要とされている観」というもので、
モチベーションが大きく変わるものなのだなあ、と最近強く思う.



ちまみに自分は、自分で会社を作ってるフェーズには
今も・10年前も同じで、そういう感覚が一切無い.

でも、サラリーマンしている時は存在した.

あれ?でもその前も無かったなあ?なんでだろう、と考えていたけれど、
10代の頃からとにかく自分で組織を引っ張る位置に行かされていたからかもしれない.
必要とされることよりも、「必要とされるもの」いやむしろ
「必要とされるべきもの」を作り出すことに必死だった.



最初に戻るが、この 人に必要とされている感、というもの、
とても大事なのは分かっているんだが、
人をマネージする側に立ったとしても、それを使うのは苦手だ.

本心から必要だ!と思える何かが無いと、言えない.悲しい.
だから、何か出してほしい、と心から思う.
何かあれば、それが必要かどうか、検討できるのに.


自分の納得無いままに口先だけでも
「必要としている!頑張ってくれ!」と言えない自分が悔しい.
そういうことが必要な時期もあるし、
人にとってもパフォーマンス出せない時期もあることも分かっているし、
絶対必要としたい要素を持っていることも分かっているけれど、
それでも言えない自分の未熟さが悔しい.


まだまだ仮面を使いこなすことも出来ないし、
納得いくことにストレートにしか対応できない単純な自分を恨むが、
本当に必要だと思った時に、それが本当に必要なんだと伝わってほしいとも思う.
それ以上器用に振る舞えるほど余裕の無い時期であることも、残念だ.




実は最近、私が一番苦手としている「表現」とか「マーケティング」について
強制的に自分で勉強する機会を作っている.
そこで学んだことの 最大抽象化が、「必要とされている感」だった.今のところ.
本当に苦手だ、心がしくしく痛む.