全体最適と「個人攻撃」と「ラク」の戦い


「何かをしたい」がための 「我慢」と「自分のラクさ」について天秤に掛けるから、妥協が生まれる.


例えば、何か作りたいモノがあったり、自分持っている領域や責任範囲を全うしようとすると、時々 そのことで損が起こる立場の人から「懸念という名の横槍」が入ったりする.その横槍は多くの場合、全体最適なんて考えているものではなく、「その個人のラクさ」起因であったりするから、そこに対峙するというのは ある意味「個人への攻撃」に近い反対意見として捉えられがちの内容となる.
誰だって仕事のために個人を傷付けたり、恨まれるようなことは望んでいないので、そこに遠慮や妥協が発生する.ここに、全体最適よりも「(個人攻撃だと思われたく無い・したく無いという)ラクさ」を求め始めると、つまり 双方の「ラクさ」の戦いになる.


これがいやでいやでしょうがなかった.別に人を陥れるつもりも、傷付けたいから強く言っているわけでなくとも、結果的にその人の「ラク」を奪うしか選択肢の無い天秤で、全体最適を追及することに疲れた.
だから、自分でルールを作れる土俵に切り替えた.今は全体最適を求める時に、誰かの損が起きることがあっても、その損の分を埋める別のオプションを用意することが出来る.相当な広い権限が無いと、「別のオプションを用意する」という工夫のできない組織が多いと思う.むしろそれを知らないがために、双方の妥協や追い込みでしか解を探せない組織も多いと思う.


でも、人間の本質はあまり変わらなくて、いくらオプションを用意したとしても、遅かれ早かれやっぱりそれも我慢出来なくなる人が多い.逃げ始める人は、結局どこまでも逃げてしまう.効率という意味では、オプションなんて用意しないことが「会社としてラク」なのだと思う.


ラクであることが目標だったのか、ラクして目標達成したいのか、ここの混同は不幸を生む.誰だって後者でありたい怠惰心はあるが、前者を目指す場合は「他の欲」よりも、「ラクというプロセスへの欲」を優先していることを意識すべきだろう.誰よりもラクをして、金メダルを取った人なんて見たことが無い.全員が金メダルを取れるものでなく、金メダルを取ることに競争が発生している限り、ラクをせずにそれを求める人が一人でも出たら、ラクと金メダルは両立しない.


究極の理想は、自分のラクさを我慢して、したいことをするしかない.つまり、目の前にあることを「自分の損得感情から切り離す」ことでしかないと思うが、これができるかできないか、その範囲が広いか狭いか、どこまで許せるのかは、その人の持つ「特性・性質」と環境的な「文化・教育」によるものだと感じる.
世界なんてどこまで行っても、自分がいかに広いと思っている範囲ですら、お釈迦様の手のひらの上で遊ばされているだけだったりするので、その時時でどこまでの想像力を持って冷静になれるか、しかない.



妥協ではない「双方の納得点」を探す作業は、お互いの持ち駒を理解することからしか始まらない.それは、無いと思い込んでいる・忘れている持ち駒も含め、新しい解を探すことになるのかもしれない.
別に、仕事の範囲のだけの話でなく、世の中に起こってる大なり小なりの争い事や、妬みなども、存在している所与の条件の差・偏りに対して、解決策の模索に妥協が生まれ、争いというラクな解に逃げているだけだったりするわけだ.


私はいつも、会社のルールや会社から出すプロダクトに、自分の中にある「こうなってほしい」というある一定の価値観を植え込んで作っている.
今日のテーマに関係する会社のルールとしては、先ほど書いた「全体最適のため損」を「他のオプションで補う」こと.


プロダクトとしては、「納得点を探す」ための、「議論・思考サポートツール」.様々な角度から持ち駒を出し切る・俯瞰するための工夫をしているつもりだ.
例えば、分かりやすい点で言えば「画面上に表示される意見・提案」は「誰が」「いつ」出したものか、極力分からないようなルールにしている.重視すべきなのは内容・中身であり、人間の弱さである「誰・いつ」といったバイアスに、できるだけ引きずられないようにするためだ.
ルールに従って使ってもらえれば、「持ち駒を出し切るため」に、書き出している内容・状況から、足りないと思われる要素について アラートで問いかけるようにしている.この、足りないと思われる要素については、これまで社内で蓄積してきたデータに基づくものであり、今後もその種類や状況によって成長していくものとしている.



物事には、人が介在することによって円滑になるものと、人が介在するから問題が起こりやすくなるものがある.どこにどちらが当てはまった方がいいのかを良く見極めることも必要だし、特に後者の「人が介在するから問題が起こりやすいもの」に対してはまだまだテクノロジーが担うべき価値・意義はたくさんあるはずなのだ.
ここに切り込みたい、というのは、うちの会社としての大きなテーマである.