日本企業で、判断が先送りされる会議が頻発する理由

 最近、歴史本を読んでいることをFBのステータスで書いたら、コメントのやり取りがあった中で、前からblogに書きたかったことを言及するに至った.今日は、それをblog版として書き直してエントリします.

ココからFBで書いた内容↓

 恥ずかしながら私は、中高時代に完全な理系だった上 学校の歴史の授業が年号の暗記ばかりで全く面白くなくて、授業はほぼ聞いてなかったし、教科書すらちゃんと読んだこと無かった.で今、キャッチアップのためにとりあえず一冊買った感じ.

 これまで、やらなきゃやらなきゃと思いつつも、歴史を学ぶ機会をなかなか設定できなかったのは、やっぱり自然科学のほうが私にとっては 学校教育での学ばせかたがうまかったからのように思う.歴史よりも理科のほうが、「ただ意味を考えずに暗記しろ」って言われることは少なかった.

 で、何故いざ今読もうとしているのか というのは、きっかけがありまして(って既に一回ちょっと書いてるんですけど)、今の若い世代の日本大学生・社会人と比べて 日本以外の大学生・大学以上の卒業生は、歴史・神話・哲学についてのリテラシが圧倒的に高いのですよ.そして、その文脈を知っているからこそ 説明抜きで、納得したり、違和感を指摘したりする.
 で、これがないと、まじでガラパゴスでしか生きられなくなる、少なくとも何かを生み出す仕事は他国に通用できないものになってしまう、と焦ってしまった.

ココまでFBで書いた内容↑

 ちなみに、これに気付くことができた理由は、Sonyではみんなが当たり前のことだとして認識している海外の常識も、DeNAでは共通見解として持っている人が少なかったからだ.Sonyじゃ当然のように受け入れられる内容が、どう説明してもなかなか納得してもらえない.必要と感じてもらえないんだ.「確かに、メーカーのコンサルをやってたときは、そう言う考え方必要だったけど、ここの業界で稼ぐためには、そのやり方は必要ないよ.だって実際そうじゃないやりかたでこんなに稼げているんだから.」
 もちろん、DeNAは若い企業であり、若い人たちの集団なので、海外市場についてはこれから知れば済むことではあるけどね.まあ、いつ学ぼうと受け入れるかどうかは知らない.少なくとも、私はその働きかけを 途中で諦めて辞めちゃった.時間が解決することもあるだろう.

日本企業の会議で最近ありがちなこと

 歴史・神話・哲学はもちろんのこと、多くの「リテラシ」というものは、対面する事象に対する共通見解をもたらし、理解を早め、意思決定にかかる時間を短縮できる.



 日本の会議でありがちなのは、「良いのか悪いのか 分からないから判断できない」「分かるように説明して」「その説明が発表資料で足りないから、次回持って来て」が延々と続き、意思決定できないこと.

 ちゃんと背景に対するリテラシがあって、ちゃんと普段から話し合っておけば、そんなやり取りしなくても「あ、あれね!分かる分かる.そうだよね、やろうよ.」と、すぐに次のステップへ話が進む可能性は高い.

 少なくとも「どこが分からないのか」の「ニーズが分からない」という種類は極端に減るはずなのだ.「ニーズが無い気がする」ならば、こういう理由でニーズが無いように思うので それでもニーズがある理由を持って来いと質問返しをできるはずなのだ.



 とりあえずさ、いろんなものに対することを 少なくとも事前に(知っておく)準備してないから、話が進まないんだと思うよ.日本の会議.・・・百歩譲って、「若い人にしか分からんから、任せる」ならば、本当に全部やらせてみなよ.わかんないからGoサインは出せない、じゃ無くてさ.

 でもそんなことよりも、自分で体感して、(若い人との差分も含めて)知っておくべきだと思うよ.だって、ターゲットとして、あなた自身でもある「若者以外」もユーザーにしたいでしょう?できれば、自分だって良いものを使ってみたいでしょう?

 食わず嫌いはやめて、日々範囲を広げればいいのに、と思う.



で、実はまたこのエントリも、書こうと思って一昨日用意してたのとは違う...ただ、今回書いた「判断できない」の逆にある、日本のメーカーが「判断しやすい」ものについて書く予定だ.