ツールとしての大企業、ツールとしてのネットサービス

 私も、ソーシャルなんちゃらの功罪 的なキャッチーなタイトルでblog書いたことあるんで、気になって読んでみた.

はてなGREEプログラマ 伊藤直也が語る、ソーシャルメディアの功罪。
http://careerhack.en-japan.com/report/detail/34

吉本隆明の「感覚が発達する」

 このblogで書かれている、「感覚が発達する」って、よくわからなかった.どういう意味?


 道具が発展してそれを使いこなすと言うことは、人間が賢くなることでも、バカになることでもないと思う.
 だけど、その道具が存在する以前に扱っていた課題より、もっと高度(次の)課題に取り組まなきゃいけないとも思っている.ツールが有っても無くても、ある人にとっては何にも変わらない と思うかもしれない.ただ、注意深く 有る時と無い時の差を比較して見つめることは、その「ツールがある」からこそしやすい(無いときに、全く想像力を働かすことができないわけではないと思うので、「ツールが無いときにはできない」と断定はしない.人間の想像力は一番の才能であり、フロンティアだ!)

 というのが、私がとりあえず1st Impressionで、書き残しておいたメモの文章.でも書かれている内容がよくわからないのに言い切るのは失礼だと思ったので、吉本隆明の本を読んでみることにした.
 まず、キーワードしての「吉本隆明」「感覚」「発達」でググってみたら、下記の2つのページがヒットしたので、その本が「悪人正機」であることが分かったので、早速Amazonで注文.

吉本隆明みうらじゅん
http://d.hatena.ne.jp/sap0220/20080924/p1

メディアのもたらす精神と感覚の関係(吉本隆明説)
http://blog.tokeidai.net/internet_business/seishin_kankaku/


 正直、全部は読んでいない.まずは、該当箇所と思われる

  • 「ネット社会」ってなんだ?
  • 「情報」ってなんだ?

から読んでみた.わかるんだけど、あまりに極端に言い切るその根拠やきっかけが見えてこないので、別の章も読んでみることにした.「正義」「友達」「戦争」「殺意」くらいを読んでみた.大体パターンが分かって来て、分かって来たからこそなんだか胸くそ悪くなって、それ以上はちょっと読みたくなくなったので、ここで一旦止めて 文章を書くのに戻ることにした.


 結論として、読む前と私の意見は変わらなかった.

変化への希望

 確かこの人、仏教系の本を書いていたような気がするんだが、仏教とか禅とかを学んで、最終的な結論を「結局最後は何も変わらないんだよ」的に終わらせてしまうのって、すごくもったいない気がするんだ.


 やっぱり、人は成長するとか、変化するとかいう希望を持っていないと 何も出来なくなってしまうと思う.喜怒哀楽が存在するのは大昔から変わらないだろうけど、何に喜ぶかが変化することは有り得ると思う.大逆転はなかなか無いだろうけどね.以前気にかけていなかったことを気にするようになるとか.
 頭で考えること無く、心の感じるまま動いていたら、そりゃ犯罪も戦争も差別も無くならんと思う.でもみんな、無くしたいんだとも思う.変わることを支えるのは、頭で得たことを 心に戻す作業だと思うんだ.

根本が一つであるなら

 何で私がこの本で気持ち悪いと感じたか、胸くそ悪くなったか.吉本隆明の主張のほとんどは、根本的にはその通りだと思うんだが、「根本の原理」と「現実世界」を結びつけるときに、最後になって急に直感的になって 結論がイイカゲンになるので、イラっとする.

 例えば、

個々の分野は枝葉で、根本は一つしかない

という話.このフレーズは全くその通りだと思うのだ.ただ、彼は、

個々の問題なら、個々の問題としてどうすれば防止できるかを考えればよい

と書いている.ここが違うと思うのだ.個別の事象というのは、その上流にある「本質」が 形を変えて表出しているだけだと思うのだ.それをツールごとに対処するだけなのは、臭いものを蓋をするだけの モグラ叩きみたいなもんだと思う.
「プライバシーとか人権」について、例に出しているが、これをネットで出て来た問題だから、ネットだけ見て片付ければいいってのは、本質的ではない.そこに生じた問題は、それまでネットが無かったから物理的に抑えられていただけで、人間の深層心理で存在していた悪意とかそう言うものが表出しているんだ.法律が追いついていないとも書いているが、追いついていないというよりも、物事をその裏にある「倫理」や「哲学」で捉えれば、ほとんどの問題は見えてくるのに、それを見失っているだけのように見える.


 例えば、何年前だったろう その時民間校長をしていた本城さんが、「最近、ケータイを子供が持つようになって、新種のいじめが出てきた.メールで悪口を広めることで、表面で見えない・一気に広がる・一部の人だけ『聞こえないように』除くことが出来る.これにどう指導すべきか?」という話.

 まあ、メールの使い方のルールだとかそういうので制限することも対処法の一つではあると思う.だが、これは単に、大昔から存在する「いじめる」行為が、そのツールを使った形で現れただけ.根本的にいじめを根絶できるとは私も思っていないが、何でいじめが良くないのかを話し合うとかそういうところに帰結する話でしか無いと思う.
 そのツールの特性が、どこに現れやすいか それを子供と一緒に確認しておくことは大事だ.その特性を学ぶことをきっかけにして、人とどう接するべきかを学べばよい.

だからツールを利用して、考える

 「利益」と「損害」なんて、ネットだけじゃなくて、あらゆるところに存在している.「ネットがどのような利害をもたらすか」という問いと、「ネットが(そもそも存在していた)利害を見えやすくする」というのは違う軸にある.私は後者が、ネット(や、様々な技術発展)の力だと思う.

 そしてむしろ、ネットのおかげで 人々の感覚が発達していると思えない.感覚が発達するための準備(ツール)ができているのに、多くの人は意識して使いこなしてないし、感覚を精神に戻すことを無視している.だからまだ、多くの利用者の感覚は発達してない.もちろん精神の発達にも寄与してない.


 伊藤直也本人も書いているけど、

はてなブックマークを作ってみて一番面白いなと思ったのは、一つ事件が起きたときにいろんな記事や発言が集まってきて、事件を多角的に捉えることができたことでした。

ツールは、思考を助ける.物事・人へのアクセスの、距離を近付けてくれたインターネットは、やっぱり我々の何かを解放してくれていると思う.


 もっと、新しいものに希望を持ってもいいと思うんだが.


 自分はやっぱり、何かを作ろうとするときに「それをこういう人が使ったら、どうなるかなー」「使う人が、このくらい増えたらどうなるかなー」「この会社・この国の ○%が使ってくれるとしたら、何が起こってるかなー」なんて考えながらプランしている.

実名・匿名サービス

「実名・匿名」問題については、両方存在するってのがいいんだと思う.極端にどっちが良い、どっちが悪いってより、どっちもあって選択できる、両方使って違いを比較する、ってことができるのも、この時代とツールがもたらしてくれた自由だと思う.ツールはそれぞれの違いで、使われかたは変わってもいいし、そう言うもんだと思うし.


 ただ、見ての通り私は以前から、結構実名でいろんなことを書いている.これについては自分なりの理由を持っているんだけど、この話はまたどこか違うところで.
 でも、匿名でいろんなセミプロっぽい意見が飛び交う2chを見ているのも大好きだ.覆面の潜入工作員が、正義・悪のためにやりあっているかのようなワクワク感があったりする.2chにちょっとしたワクワクを感じるのは、匿名の言動って 組織やプロジェクト名を背負って、複数人が個人名関係なく活動するのと似ている気がしているから.
 てか、私レベルの素人が実名で活動したって 多くの人から見たら、匿名と同じレベルの意味しか持ち合わせてないし.

ツールを通して、成長する

 もう一度、ツールの話に戻す.
 話が飛躍するようだが この話は、どの時代に「大企業で過ごしたか」「ベンチャーで過ごしたか」の話と似たようなもんだと思う.
一見、こういう話題とか

これってIT業界も全く同じじゃねえ?あるいは何故デカイ店のコックは育たないか
http://blogs.itmedia.co.jp/magic/2012/09/it-9d7a.html

こういう話題を見ると、

優秀な技術者を「一円も価値を生まないセクター」に幽閉する愚行
http://blogos.com/article/31108/?axis=b:92

一理あるよ、一理ねって思う.でもさ、一生「小さなところ」で働いて、売り上げもその程度でよいんなら、それでいいよ.でも、大きくしたくなったりもするんだよね?周りから求められて、大きくしなきゃいけなかったりもするんだよね?そしたら、大企業でやっていたのを参考にして、仕組み・ルールを作り上げなきゃいけないわけよ.
 そのとき、「俺は大企業は意味ないと思うから、小さな個人経営のやり方のままビッグになってやるぜ!」ってなら、ハイ、やってみてくれ.私なら、大企業でやってる仕組みを取り入れるよ.もちろん、ダメだなと思っていた部分は、極力改善するように変更してからね.じゃないと、何度も同じことを繰り返すだけだと思うんだ.

吉村さんに伝えたいこと

 吉村さんってのは、ソニーにいるちょっと有名人(?)なんだけど、先日飲みに行ってから「これから引退までの数年、ソニーで何をするか」という会話があったんだ.それについて伝えたいことがあるんだけど、この長々としたエントリーに合う話だと思ったので、最後に持って来た.


 正直、ソニーとしてこれからやるべきことは、その富(知恵)をちゃんと ソニー以外で育つべき市場や企業に分配・移行することだと思う.
 DeNAでは、話が通じないこともたくさんあったが、長い目で見れば絶対に避けて通れない課題を先延ばししているだけに見えることもあった.若い企業、知らない企業は、時間をかけないと理解できないことがたくさんある.大きな企業は、その知恵をちゃんと伝え、提供することで、その会社の成長を早めることができると思う.


 会社として自らを大きくする、自らを維持することに必死になっていないで、世の中全てを良くするために どうあるべきかを考えた方がいいと思う.
 以前の、無職になった記念エントリでも書いたけれど、私は 自分で起業してM井物産と取引させてもらった時、「大企業の役割として、儲けだけでなく、取引することが世の中のためになるものを選びたい.そういう会社を選んでいる.」と言われた.他の大きな歴史のある企業も、そうすることはできると思うんだ.

 会社としてどこかの会社に投資するというのもあるだろう.自分のプロダクトと他社で何かできないか、考えてみるのもいいかもしれない.子会社にしてサポートするというのもあるだろう(利益を吸い上げるんじゃ無いよ?)子会社の社員として ソニーを辞め、違う会社で貢献することも一つだと思う.
 商品云々とか、開発の方法とか、そういう大きなノウハウだけじゃなく、大人数で会議をやるときはこういうレベルの議事録を発行すると効率的だとか、○○国の人たちと付き合うときのコツだとか、そういう暗黙知みたいなものこそ、必要とされたりする.大企業の事業会社に勤めた人が、あまり他の会社に流動しないものだから、全くそのノウハウが他の会社に伝わってなかったりする.そんなことしてる間に、ベンチャーも成長に時間がかかって、結局手遅れになったりする.


 目の前にやらなきゃ行けない、売ることの決まってるプロダクトがあるから、それをほっといて外のために何をするかなんて考えにくいのは分かっている.
 でも、持っている強みを 喜んで差し出さない限り、ソニーとしての(利益も含めた)gainは得られないはず.厳しい言い方しちゃうけれど、新規領域に参入して事業を立ち上げるなんて、そんな簡単にうまく行くはずが無いんだ.


 ちなみに、見ての通り 私は(多少怒ってることもあるけどw)、ソニーのことを愛してるし、感謝してるし、いつでも何か力になりたいって思うっている.むしろ(会社としても、そこにいる人たちみんなも)いつか力を貸してほしいって思ってる.それは、あの場所が本来持っている力を信頼しているから.



てかまた、書こうと溜めてるエントリとは違うのを先に書いちゃったよ...まあ、応援してるんだよね.自分もがんばるけどさ.てか、こういう内容をこの前 呼んでもらったときにプレゼンすれば良かったような気がする.気がするが、前の職場から離脱して1ヶ月も経ってなかったので、こんなに思考が回るほどの精神的回復をしてなかったんだよねー...てか、長文になりすぎた.さっさと、作業に戻らなきゃ.