希少性は、物的リアルだけに生じるものではない

http://togetter.com/li/287839
東浩紀「情報そのものを売ってマネタイズするのが不可能。無限に複製可能なデータに、金なんか払うわけがない」

 東浩紀の理論は、彼の分野である「書物」という世界観にある「消費の仕方(むしろ美学)」の領域を限定した言及であると思う.togetterのなかで、@circle_Portionさんが書いているように「流通としての消費コンテンツとしての本」の話だ.
 だが、タイトルを「情報そのものを売ってマネタイズするのが不可能。無限に複製可能なデータに、金なんか払うわけがない」なんて大上段でまとめられてしまうと、この領域の話を生業のコアに持ってきて既に15年になる私としては反論したくなる.


 私はそれでも「価値のある情報」のデジタルな存在、そしてそれへの「等価でない価格設定」の可能性を信じている.


「情報」の定義にもよるが、リアルだけが希少性を生むわけではない.デジタルな領域であっても、経験やパッケージを「情報をどう形作るか」の工夫によって成立させることが可能.
 究極的には「流通コスト0=価格0」の時代が来るのではなく、「give&takeはgiveが先」とか「期待価値・期待支払い」の時代が来るはずだと考えている.


 人間には「消費のための金銭コスト(物理的な原価と取引費用)」以外に、「消費のための時間」(もう少し言うと、「消費のための事前知識・教養」などもある)という制限があるものなので、そこに希少性を存在させることが出来る.これは、時間価値=0と定義した場合は、希少性を成立させることは出来なくなるが、人間の人生という期間が有限である限り、金銭面の制限だけでなく、その他の制限による希少性を考えた方がよいだろう.実際のネット系ビジネスは、それを利用して成り立っているものが多いと思う.むしろ普及すれば普及するほど生まれた別の希少性によって、お金がとれるようになっている例も見られるくらいだから、これまで物材が消費のメインだった時代に無かったところに価値が生まれることは否定できない.


 AKBの話題や、おまけ付き雑誌の話が出ているので、この話がごっちゃになっているとは思う.
「高くても買う人がいるビジネス」の論理も賛成だし、「それと大量消費モデルとを同値付けにすることへの問題意識」も賛成.「安ければ安いほどいい」は日本のマジョリティが染まりすぎている価値観なので、なかなか日本で話が難しいことも同意.

「書物という美学」に限定した場合は、リアル価値に紐付けた高価格設定をする必要があるかもしれないが、「ものを読ませる」とか「テキストコンテンツを愉しむ」「物語を読む」という価値を対象にすると、デジタルでの読ませかたの工夫によって希少性を作り上げたりすることで、バラエティのある価値付けは可能になるのではないか.まあ、「形や慣習が崩れちまったら、そんなの書物じゃねえ、文学じゃねえ、歴史ある文化としての美学に反する」とか言われちゃうと話が終わります.


 というか、この「従来からのどこの本質を重視してデジタルと付き合うか」は、どの分野であっても挑戦すべき課題だと思う.頑張ろう.