要領が悪い、と言うこと

多くの人たちの「躓き」は、要領が悪い という一言に集約されることが多いように思う.
  仕事ができない、
  ちゃんとやっているはずなのに評価されない、
  気が付いたら仕事が無かった(取られていた)、
  いつも割の悪いことをさせられている、
  なんであんな調子のいいだけのやつが!?・・・
たいていの真面目に頑張っている人たちって、こういうことに葛藤している気がする.


私がこの「要領の悪さ」と戦っていたのは、忘れもしない小学生時代だ.今でもムカついている.真面目にやっていても、人の目の前だけ調子よくしている人が評価され、ふと気を抜いた瞬間を人に見られる自分はいつも叱られる.なんてムカつくんだ!!こんな世界、フェアじゃない!と思っていた.

そんな私は、あるきっかけがあって「人への見せ方」という技術があることを知った.知って使えるようになった部分もあるが、それでも私はこういうのは嫌いだ.今でも、目先だけうまく繕うようなやつは大嫌いだし、そういう人よりも 地道に努力している人がちゃんと評価される世の中であるべきだと思っている.

ただ、そういう「見せ方の要領の良さ」があるとともに、「習得の要領の良さ」というものもあると学んだ.正直なところ、習得の要領の良さだけは、全ての人たちにお勧めしたい.まったくずるくもなければ、自分の選択肢が広がるだけでなく 飛躍的なパフォーマンスアップが見込める.


習得の要領の良さとは、
 1.極端なアクションを心がけること
 2.それまで嫌だったこと・避けていたことに取り組むこと
 3.疑い続けること
だと考えている.

目の前にある物事、例えば何かやらなきゃいけないTo Doがあるとして、時間をかけてやる方法と 手を抜く方法があると思う.加えて、事細かく見せる方法と、効果的に見せる方法 というのもあると思う.私が進めるのは「手を抜いて」「効果的に見せろ」じゃない.「全部やれ」、だ.ただし、全部中途半端はダメだ.一回、極端なパターンを出したあと、本当の(自分なりの)判断をすべきだ、と思う.最初からちょっとずつ進める、はダメだ.

2番目の、それまで嫌だった事・避けていた事に取り組む、は、私の中で一番パフォーマンスしていると思う.苦手な事を伸ばすのは要領力無い、とよく言うが、伸ばすのではなく、「知る」んだ.
人間、1日中 嫌な事は出来ない.2割くらい、自分が苦手な事に挑戦するくらいでちょうどいいと思う.だけど、2割くらい「あー、やだなー.こんなのやりたくないのになー.」と思う事でも 一つコマを進める事によって、有り得ない一歩になっていたりする.多くの場合は「広い視野」と「自信」になる.

3番目は、それでも自分・物事を疑い続ける、ということだが、「まだもっと上があるんじゃないか?」「もっといいものがあるんじゃないか?」と考え続ける事だ.タイムリミットはいつでも存在するが、与えられた範囲の中で、そのリミットを超えても心の中で、「ベストとは何か?」を抱き続ける事が重要になってくると思う.2番目の「自信になる」とは反していない.自信と、それでも向上して行く事は両立できる.


簡単に言えば、心がけ一つでしかない小さな一歩が、積もり積もって大きな差になっていたりする.大きな差に見えているだけかもしれない.
しかも、年を取ったり、付き合いが長くなったり、立場があったりすると、誰も忠告してくれなくなる.なぜか上品な現代日本人は、おせっかいよりも「笑ってごまかす」ことのほうが、優しい行動だと定義しているようだから.